昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―⑰

2017年02月23日 | 日記

“松の湯”は、驚くほどの盛況だった。客はざっと数えて20名ほど。湯船も洗い場もざわついている。先に入って行くとっちゃんに、湯船に腰かけていた数名から声がかかる。

「おお~、とっちゃんやないか」

「とっちゃん、今日は大変やったな~~。ひどい雨やったもんなあ」

「とっちゃん、今日は早いんちゃうか~?」

ズヒズヒと笑いながら、とっちゃんは声を掛けてくる人に「おっさんは、いつも元気でええなあ」「暑かったなあ。おっさんも汗掻いたやろ~」などと応え、湯船に入っていく。

後ろを行く僕たち3人は、その様子に顔を見合わせる。

「“おっさん”は、“おっさんたち”やったんや~~」

桑原君の言葉に、大沢さんと僕は頷く。大沢さんの口は半開きになっている。

 

丸刈り頭が白髪交じりの、50代と思しき“おっさん”。長髪の、本来はお兄さんとでも呼ぶべき、20代後半~30代前半と思われる“おっさん”。30代に見える中肉中背の二人は、一人は筋骨隆々で、もう一人は腹がぽっこりと出ていた。“おっさんたち”は四人。全員が日に焼けた顔を湯気でてらてらと光らせている。

「土方のおっさん達か~」

桑原君は小さく呟く。“長髪”が鋭い視線を送ってくる。

「さ、入ろうか~~」

大沢さんが声を張り上げる。とっちゃんは“白髪”につつっと近付き、こちらを指差す。僕たちは湯船に浸かり、一斉にタオルを頭に乗せる。“白髪”が泳ぐように近付いてくる。

「とっちゃんの仲間なんやて?」

三人ほとんど同時に「はい!」と答える。

「夕刊終わったんやな。お疲れさん」

人懐っこそうな笑顔が赤い。お湯の熱のせいだけではなさそうだ。

「新聞少年……、いや青年か?」

振り向くと、湯船の縁に“長髪”と“ぽっこり”が並んで腰掛けている。“筋肉”は顎まで湯に浸かり、蛙のような目をこちらに向けている。

とっちゃんと“おっさん”4人に囲まれた格好だ。

「とっちゃんと一緒に来の、初めてやなあ」

“長髪”の言葉に小さな棘が潜んでいる。

「なかなか時間が合わなくて。……ねえ」

大沢さんが棘から身をかわす。

「こいつがグリグリ~。こいつがグワグワ。この人がザワザワや。いっつも話してるやろ~~?」

とっちゃんの紹介に苦笑しながら、三人揃って頭を下げる。

「ザワザワて……」

桑原君が僕の横腹を突っつく。

「あんたら、とっちゃん大事にしたってや~」

“長髪”の真顔が、僕たちを見つめる。

「とっちゃん、一生懸命生きてるんやからな!」

「まあまあ、この人らも一生懸命生きてはるんやから。なあ。わしらと一緒やで。な!」

“白髪”の腕が突然湯の仲から出てきて、僕の肩に回る。ぎゅっと引き寄せ下から覗き込む。息が酒臭い。

「おっさん!兄ちゃん、びっくりしてはるやないか。なあ、兄ちゃん。このおっさん、ちょっと“その気”あるさかい、気い付けや」

“筋肉”がカラカラと笑う。

「同じ労働者階級、仲良うせんとなあ」

そう言う“白髪”に肩を抱かれたまま電気風呂に移動する。

「嘘やで。さっきの話」

腰を引き気味の僕を、後ろを付いてきた“筋肉”が笑う。“ぽっこり”も“長髪”もやってきている。大沢さんと桑原君も続き、決して大きくない電気風呂は、8人の男で一杯になった。

「電気、ビリビリ来るやろ?これが身体にええんやで~」

顎まで沈んだ“ぽっこり”の目が細くなる。

「ここでいっつも話してるんや。なあ、とっちゃん」

“筋肉”がとっちゃんの肩を叩く。

“長髪”は電気風呂が苦手なのか、湯船の縁を掴んでゆるゆると身体を沈めていく。ふと目に留まった二の腕の傷跡が、痛々しいほど大きい。

「兄ちゃん、気になるやろう、その傷跡。生田君、10年ほど前、国会議事堂に突っ込んだんやで。警棒で殴られて、腕折ったんや。名誉の負傷ってやつや」

快活な“ぽっこり”の声に、僕たちは目のやり場に困ってしまう。すると“ぽっこり”は、少し水を口に含んでぷっと吹き出し、僕たちににじりよってきた。

「兄ちゃんたち、学生はん?」

「みんな、学生ではありません」

大沢さんが答えると、“ぽっこり”はもう一度鼻までを水中に没し、僕たち全員をねめまわすと、またぷっと口に含んだ水を吹き出した。

「そうか~~。学生ちゃうんか~~」

“ぽっこり”は電気風呂から上がっていき、代わりに“長髪”の顔が近づく。

「僕の見立てでは、二人は浪人やな。もう一人は何か事情があるんやろうなあ」

桑原君は“長髪”の、警棒でやられたという腕の傷跡と顔を交互に見つめている。

「兄ちゃん、どこ出身や?」

僕の前に、“筋肉”が顔を突き出す。

「島根県です」

「高知県なんや、わしは。高知県言うたら、坂本竜馬と横山やすしや。知ってるやろ?」

“筋肉”は誇らしげだ。

「知ってますよ~~」

桑原君と僕は口を揃える。

「あと、鰹と酒。これも知ってるわなあ」

「知ってますよ~~」

ついで“筋肉”は、“白髪”の肩を叩き引き寄せる。

「このおっさんが一番偉い人なんやで。年やからちゃうで~」

「俺の社長だった人や。今でも面倒見てもろうてるけどな」

“ぽっこり”がすかさず言葉を継ぎ、再び電気風呂に身を浸す。ゆっくりと首まで水中に浸かった目が、“白髪”をじっと捉えている

“ぽっこり”の目に促され、“白髪”がぽつりと言う。

「昔は工務店を経営してたんやけどな」

そう“白髪”が言うと、“ぽっこり”は電気風呂から出ていく。

「兄ちゃんら、まだ身体洗うてへんやろ。ゆっくり洗っといで。脱衣場で待ってたるし。コーラおごったるしな」

“白髪”を促し、さっさと脱衣場へと出て行く。“筋肉”も僕たちにウィンクをして、とっちゃんを連れて後を追う。

“長髪”と僕たち、残された4人には沈黙が訪れた。

「洗いましょうか~~」

沈黙を破り大沢さんと電気風呂を出る。桑原君は“長髪”に話かけられ、湯船の端に腰を落ち着けたようだった。

 

脱衣所に出るとすぐ、僕と大沢さんに、とっちゃんからコーラが手渡された。

「ありがとうございます」

誰にお礼を言っていいかわからず、“白髪”、“ぽっこり”、“筋肉”の順に、小さく頭を下げる。

“白髪”を中心に輪ができている。全員コーラを手にしている。“白髪”は、語り慣れた調子で、経営していた工務店倒産の顛末を語り始める。

“白髪”は戦後間もなく、空襲で亡くなった父親の跡を継ぎ、工務店の三代目社長となった。戦後の復興需要と高度経済成長のお蔭で、経営は順調に推移。数人の職人だけだった会社は数十名の社員を抱えるまでになった。個人住宅主体だった受注も拡大。ビル建築まで請け負うようになった。そんな折、大手ゼネコンから提携の話が舞い込む。

「まあ、要は、下請けにならへんか、いう話や。仕事は約束する、言うんやけどな。わし、人のケツにくっつくのは嫌や、言うてな、断ったんや。……で、まあ、いろいろあってな。倒産してもうた、いうわけや」

どうも裏切りにあったようだった。会社を乗っ取られたのではないか、とも思われた。

“白髪”が話し終えるまで、とっちゃんはタイミングよく首を縦に振り続けていた。まるで場慣れした聴衆のようだった。

桑原君と“長髪”が出てくる。“ぽっこり”が“白髪”に目配せをする。

「まあ、倒産は経験せんほうがええ、ちゅうこっちゃ」

“白髪”は、立ち上がる。僕に近付き、また肩に手を回してきた。僕は、少し身をよけた。すると、“ぽっこり”が僕に耳打ちをする。

「弱いもんを助けよう思うたら、とことんやらんとあかんで。弱いもんは、とことん甘えてくるもんやからな」

隣の大沢さんにも一言掛ける。

「でもまあ、“抱き付き心中”には巻き込まれんようにせんとな」

大沢さんは2~3度頷く。とっちゃんは、コーラの炭酸にむせている。

「帰るか」

“白髪”の一言をきっかけに“おっさん”たちが動く。僕たちは帰って行く4人を番台まで見送り、もう一度コーラのお礼を言って頭を下げる。

“筋肉”が引き返してきて僕の脇腹を突っつき、「兄ちゃん、気い付けや~~」と言ってニヤリとした。

                  Kakky(柿本洋一)

  *Kakkyのブログは、こちら→Kakky、Kapparと佐助のブログ


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