昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章“とっちゃんの宵山”(短期集中再掲載)  12.とっちゃんの挫折

2012年10月01日 | 日記

とっちゃんの挫折

「仕事、終わったの?早かったねえ。夜は、なかったの?」

「…………」

とっちゃんは、無言のまま電柱の陰から出てこようとしない。こちらを窺う右目が、赤く光っている。

「どうしたの?」。自転車を押して近付こうとすると、顔を隠す……。止まる。右目を出す。止まる。を繰り返し、“ぼんさんが屁をこいた”をしているかのように接近。電信柱の陰を覗き込む。

「とっちゃん、どうしたの?」

「帰ってええ。もう来んでええから。て、言われたんや~~」

赤く光っていた目が、微かに照れ笑いに変わっている。「なんで?何があってん?なあ、なんで?」。覗き込むと、照れ笑いは顔一面に広がっていた。

はっきりと理由を言わないとっちゃんに業を煮やし、僕はとっちゃんに帰るように告げ、“松庵”に行ってみることにした。まだ続くと思われるとっちゃんの“会社員になりたい願望”につきあっていくためには、不採用の理由は掴んでおかなくてはならない。

汗の滲みこんだTシャツとジーンズを着替え、自転車で“松庵”に向かった。

店内に客は1名。店主は、一番奥の席に腰掛けていた。

「こんにちは~~」。努めて明るい声で挨拶をすると、「いらっしゃ~~い」とお客と間違えた店主の顔が、僕を認めて苦笑に変わった。

「兄ちゃんかいな。いや~~、えらい目におうたで。あの子、あかんな。どこも勤まらへんで」

手招きされるままに奥のテーブルへ。向かいに腰掛けると、店主の説明が始まった。

 

僕が帰ってすぐ、とっちゃんの出番がやってきた。近くの常連さんの家への出前だ。注文は、天麩羅蕎麦二人前。100mばかりの距離。町屋が並ぶ一角の一軒とはいえ、表札は出ているし、京都の道は碁盤の目。しかも、本人が「新聞配ってて欠配したことないんや!」と胸を張っているものだから、すぐに出前に向かわせた。念のために、簡単な地図も書いて手渡した。

ところが、一向に帰って来ない。出発して30分を経過した頃、お客さんから確認の電話があった。事態がわからない店主は、やむを得ず再度注文の品を用意し、自ら出前に行った。お昼の忙しいさ中に、である。

怒りを覚えながら、店に走って帰ってくると、店の前にとっちゃんは立っていた。右手には岡持ち。上目遣いで店主の方を見ている。

怒鳴りつけ、岡持ちを取り上げ蓋を開けると、中にはすっかり汁気のなくなった天麩羅蕎麦が二人前。店主の怒りは、一気に沸騰した。

大切なお客さん、自慢の品、忙しいさ中、わずか100m先への出前……。帰って来れるんだったら、せめてもっと早く帰って来るべきではないのか……。

いろいろ言いたいことが一気に噴出する一方で、店内の慌ただしさも気になる……。というわけで、店主は、すべてを込めて一言怒鳴ったのだった。

「もうええ!帰ってくれ!」

店内の客への気遣いが声を押し殺させているものの、その時の店主の怒りは十分に伝わった。僕を見る目には、共犯者を見る色さえ加わっている。能力の有無ではなく、誠意の有無と店主は判断し、その思いは僕にも向けられているように思えた。

「申し訳ありませんでした!」。その一言しかなかった。

とっちゃんを責める心は一欠片も浮かんでこなかった。

 

お客さんが入ってくるのにタイミングを合わせ、もう一度深々と謝罪のお辞儀をして、僕は「松庵」を出た。

帰路に付いた途端、自分を責める言葉と後悔の念に襲われた。

“おっさん”の無責任な言葉と僕自身のお節介と、一体どちらが罪深いのだろう?…何の準備もなく、さしたるビジョンもなしに行動を起こした報いだ!…とっちゃんのことだから、という意識が無責任を生んだのではないか?…自分のことであったなら、僕はどのように動いたのか?…そもそも動けたのか?………

帰り道のコースを変え、鴨川の東側、川端通りを自転車を押して歩いていると、突然悲しくなってきた。誰かの役に立つこともできなければ、一人で生きていくこともできない男が、ぽつんと一人歩いているんだ、と思った。

そして、気付いた。毎日手紙を待っている、遠く離れた彼女に対しても、僕には何も求める力はなく、権利もないんだということに。

好きになってくれることを喜ぶ前に、僕がどれだけ好きになれているのか。手紙に返信がないことは、そのことを問われているようなものなんだ、と思った。

とっちゃんの宵山は、終わった。でも、僕はとっちゃんの宵山が始まるずっと前から、一人で僕の宵山を楽しんでいたのかもしれないような気がした。

                             Kakky(柿本)

次回は、第二章最終回。明日10月日2(火)です。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。


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