俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

11月13日(日)

2011-11-13 14:08:35 | Weblog
★たて笛の音色幼し冬初め   正子
幼稚園生か小学校の低学年生が、たて笛を一生懸命練習している姿とまだ晩秋の感じが残るが、寒さに向かう引き締まった感じとの対比が素晴らしいですね。絶対にたて笛を吹けるようになろうとする姿が素晴らしいですね。(小口泰與)

○今日の俳句
木枯しや対岸の灯の明らかに/小口泰與
木枯しが吹くと、空気中の塵が吹き払われて空気が澄んでくる。対岸の灯が「明らかに」なる。この灯の美しさに、人は魂のふるさとを思いみるだろう。

○FB日曜句会投句
たて笛の音色幼し冬初め        正子
柚子の木に柚子はいびつな柚子ばかり  〃
レモンの香飛ばせば灯ちらつけり    〃

○後記
(平成24年花冠1月号)
★あけましておめでとうございます。平成二
十四年の幕開けです。日本の産業も金融も農
業も、世界と連動して動き、われわれ庶民の
生活も多かれ少なかれ影響を受けざるを得な
い時代になりました。
★文化に関しては、昨年十一月十二日の日本
経済新聞文化欄に、「欧米古典詩新訳に新味
」と見出しがありました。「現代の言語感覚
」「原文のリズム感」を生かした訳詩が相次
いで出版されるというのです。欧米の名作小
説の多数が新しく訳しなおされているのに、
詩に関しては新訳が後れていると指摘してい
ます。なぜ遅れるかは、自明のとおり詩が言
葉そのものを鑑賞するものであること。先人
の名訳は名訳として大切に残しておくべきで
しょうが、やはり、現代の言語感覚で、原詩
のリズムを生かしたものを読みたいのは、詩
の創作に携わっている人には強い要求でしょ
う。詩における「リズム」は、詩のもっとも
重要な生命と思います。訳文は、二十年も経
つと古く感じるそうですから、グローバル化
に伴い、世界中の情報が手に入る世になった
昨今、たとえば、「フード」は、「頭巾」と
訳さなくてもむしろ「フード」の方が今の言
語感覚にあっていると言えます。そして、訳
は訳者の「自分」を出さない、原文にない言
語は削る、抒情を排する、リズムを生かすた
めに体言止めにするなど、工夫がされていま
す。旧訳に比べれば、イメージが鮮明な印象
です。ここまで述べて、お気づきのかたもお
られるかと思いますが、詩の訳の方向は全く
私が考える俳句の方向と同じなのです。四十
年ほど前に日本語俳句を熱心に英訳していた
ときに、同じような問題にぶつかりました。
ただこれは、信之先生と私だけが俳句英訳に
利用していただけで、公に言う人はいません
でした。大学教授や詩人たちが今この方向で
訳を進めているのをなるほどと思っているわ
けです。また、詩の訳には、もっとさまざま
な人の参加が必要だと言っています。それが
文化をゆたかにするからです。訳詩や訳文に
よって、日本文化は随分豊かになりました。
ここで思うのです。
★芭蕉の言葉に「俳諧は俗語をただす」とい
うのがあります。世間で使われている言葉を
正しく、詩の言葉として生命をもたせること
を意味していると思います。「自分の言葉に
自分の命を正しく与える」作業を今年は特に
意識しておきたいと、年頭に当たって思いま
した。
★ネット上では、フェイスブック日曜句会が
順調です。どなたにもの楽しみになるように、
信之先生ともども努めたいと思っています。
今年もよろしくお願いいたします。(正子)

◇生活する花たち「千両・茶の花・白椿」(横浜下田町・松の川緑道)

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1 コメント

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御礼 (小口泰與)
2011-11-18 16:47:45
高橋正子先生
「木枯らし」の句を11/13の正子先生の俳句日記にお取り上げ頂き大変嬉しく感謝申し上げます。有難う御座います。
◎たて笛の音色幼し冬初め/正子
幼稚園生か小学校の低学年生が、たて笛を一生懸命練習している姿とまだ晩秋の感じが残るが、寒さに向かう引き締まった感じとの対比が素晴らしいですね。絶対にたて笛を吹けるようになろうとする姿が素晴らしいですね。
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