俳句
大股に女走れり薔薇の風
薔薇垣の肩に触れつつ香りつつ
初夏のオレンジの香が手に残り
曇り
○信之先生は、JRで八王子、立川、青梅あたりまで出かける。
お土産は、ダークチェリーのチーズケーキ。立川駅には、ケーキが沢山並んでいるそうだ。
○白水社の図書新聞「出版ダイジェスト」が届く。
今月のトップは、「絵を見て怖がるーー絵画の鑑賞法について」を中野京子氏が書いる。中野京子氏は、よく知らないが、ドイツ文学者で、著書に『怖い絵』『怖い絵2』(朝日出版)『名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語』(光文社新書)。訳書にツヴァイク『マリーアントワネット』(角川文庫)などがある。『怖い絵3』が5月下旬に刊行されるそうだ。
いつの頃からか、「絵は自分の感性で見るのがよい。」と暗に教えられるようになった。余計な知識は先入観を与え、鑑賞の邪魔になるだけだから、いっさい予備知識ぬきの白紙状態で作品と向き合い、色彩、タッチ、画面の空気感(!)などを全身で味わうこと、というのだ。
このことは、美術展を退屈にしてしまう、と。絵画、特に19世紀以前の作品は、「見る」「感じる」より、詠むのが先だと教えるべきではないのかしらん。と。
こういうことがあって、一枚の絵には、その時代特有の常識、その国独自の文化、長い歴史がからみあっていること。さらに絵の注文主の思惑やら画家の計算、意図的に隠されたシンボルにも満ち満ちている。感性だけでは、決してわからないものがあることを、ざっと学ばせるべきと思う。要は知ること。背景を知ることで、絵はそれまでとがらりと様相を変えて立ち現れる。
たとえば、ドガのいっぱんに言う「踊り子」(エトワール、または舞台の踊り子)を挙げる。この『怖い絵』をざっと読んで見るのも面白そうだ。日本画については、どうもなさそうだが。
○絵ではないが、大学受験の国語の中に「現代文」というのがある。この点数を上げるために、『現代文解釈の方法』と言ったような題名の参考書が多々出版されているのは、ご存知のことと思うが、内容は、接続詞の果たす役をよく見て、段落の構成から論理の展開を考えれば、解答が得られるというもの。また、多く読書しろとも。田舎の高校生にこんなことを言われても、感性で絵を見よというのと同じようなもので、一向に点数は上がらない。あがらないはずだ。現代文は主に論文が出題されるが、筆者は、現代のなんらの思想に拠って書いている。主には西洋思想だが。世界の主な思想を、ざっとでもよいから学ばせておかないと、現代文の論文を読みこなすのは、無理と言えそうだ。普段そういった思想を話す仲間が居ればべつだろうが。しかし、幸いにも竹田青嗣氏の『現代思想の冒険』と言った本が高校生むきに出ている。よくは分からないまでも、ざっと知っておけば、いい。逆に言えば、それほど、独自な思想を持っている方はいたとしても、われわれの知る範囲に出て来られない。書かれたものの背景の知識は、囚われてはいけないのだろうが、知って損ではない。
因みにお粗末な話だが、高校の現代文の問題のプリントの一部が印刷不明瞭のがあった。あとに続く言葉を論者の考えにそって()に入れよ、というのがあったが、その答えは、不明瞭な部分の文章を読まなくても、決まっている。答えは当たるのである。これで高校生を驚かすのは、それほど困難ではない。知って損をすることではない。
感性に頼るだけ、知識に頼るだけ、のどちらもいけないなのだろう。兎に角、感性も、知識も身より出たもの、身についたものでないといけないのだろう。
大股に女走れり薔薇の風
薔薇垣の肩に触れつつ香りつつ
初夏のオレンジの香が手に残り
曇り
○信之先生は、JRで八王子、立川、青梅あたりまで出かける。
お土産は、ダークチェリーのチーズケーキ。立川駅には、ケーキが沢山並んでいるそうだ。
○白水社の図書新聞「出版ダイジェスト」が届く。
今月のトップは、「絵を見て怖がるーー絵画の鑑賞法について」を中野京子氏が書いる。中野京子氏は、よく知らないが、ドイツ文学者で、著書に『怖い絵』『怖い絵2』(朝日出版)『名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語』(光文社新書)。訳書にツヴァイク『マリーアントワネット』(角川文庫)などがある。『怖い絵3』が5月下旬に刊行されるそうだ。
いつの頃からか、「絵は自分の感性で見るのがよい。」と暗に教えられるようになった。余計な知識は先入観を与え、鑑賞の邪魔になるだけだから、いっさい予備知識ぬきの白紙状態で作品と向き合い、色彩、タッチ、画面の空気感(!)などを全身で味わうこと、というのだ。
このことは、美術展を退屈にしてしまう、と。絵画、特に19世紀以前の作品は、「見る」「感じる」より、詠むのが先だと教えるべきではないのかしらん。と。
こういうことがあって、一枚の絵には、その時代特有の常識、その国独自の文化、長い歴史がからみあっていること。さらに絵の注文主の思惑やら画家の計算、意図的に隠されたシンボルにも満ち満ちている。感性だけでは、決してわからないものがあることを、ざっと学ばせるべきと思う。要は知ること。背景を知ることで、絵はそれまでとがらりと様相を変えて立ち現れる。
たとえば、ドガのいっぱんに言う「踊り子」(エトワール、または舞台の踊り子)を挙げる。この『怖い絵』をざっと読んで見るのも面白そうだ。日本画については、どうもなさそうだが。
○絵ではないが、大学受験の国語の中に「現代文」というのがある。この点数を上げるために、『現代文解釈の方法』と言ったような題名の参考書が多々出版されているのは、ご存知のことと思うが、内容は、接続詞の果たす役をよく見て、段落の構成から論理の展開を考えれば、解答が得られるというもの。また、多く読書しろとも。田舎の高校生にこんなことを言われても、感性で絵を見よというのと同じようなもので、一向に点数は上がらない。あがらないはずだ。現代文は主に論文が出題されるが、筆者は、現代のなんらの思想に拠って書いている。主には西洋思想だが。世界の主な思想を、ざっとでもよいから学ばせておかないと、現代文の論文を読みこなすのは、無理と言えそうだ。普段そういった思想を話す仲間が居ればべつだろうが。しかし、幸いにも竹田青嗣氏の『現代思想の冒険』と言った本が高校生むきに出ている。よくは分からないまでも、ざっと知っておけば、いい。逆に言えば、それほど、独自な思想を持っている方はいたとしても、われわれの知る範囲に出て来られない。書かれたものの背景の知識は、囚われてはいけないのだろうが、知って損ではない。
因みにお粗末な話だが、高校の現代文の問題のプリントの一部が印刷不明瞭のがあった。あとに続く言葉を論者の考えにそって()に入れよ、というのがあったが、その答えは、不明瞭な部分の文章を読まなくても、決まっている。答えは当たるのである。これで高校生を驚かすのは、それほど困難ではない。知って損をすることではない。
感性に頼るだけ、知識に頼るだけ、のどちらもいけないなのだろう。兎に角、感性も、知識も身より出たもの、身についたものでないといけないのだろう。
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