曇りのち晴れ。
梅雨晴れの光まといて人・車 正子
梅雨晴れの夜となり星のひとつ生れ 正子
夏の星小説なれど青年死す 正子
●きのう「俳壇8月号」をレターパックで花冠会員に俳句はがきを挟んで郵送。
●久しぶりに、晴れた。夜は星見えて、気持ちが晴れる。
●『クレート・ギャッツビー』、第7章でクライマックスに。ここまで読んで、「文学とは」と聞かれたら、今日の私は「文学は比喩です。」と答えるだろうと思った。ギャッツビーの比喩はシェークスピアを超えていそう。少なくともシェークスピアを思い出させる。
俳句は比喩は避けるべきと教わった。だのに、腹が立つぐらい「ごときの俳句」だらけ。なぜ俳句が比喩を嫌うかと考えを巡らすと、比喩での表現は、俳句では、ある意味、安易、易きに流れ、本質を見るまでの攻めを欠くからと言えそう。小説はというと、比喩でないと真実が言えない気がする。
●ギャッツビーの第7章を明け方4時ごろから読み始めて、朝8時のラジオの「音楽の泉」をたのしみにしていた。だのに、いつの間にか眠って、気づいたら、ラジオからベートーベンの第1の終わりが流れていた。そこのところが、第7章の気分にあっていたのでなんだこれは、と目がはっきり覚めた。ベートーベンの生誕250年は今年だったか、去年だったかと頭が廻った。聞き逃したので、ネットで探しアバッド指揮のベルリンフィルで第1を聞いた。