俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

1月27日(日)

2013-01-27 13:51:22 | Weblog
★枯るる葦そよがぬときはほの赤し/高橋正子
水辺に生え、枯れつくした葦は冬場、寒々とした景を映しだしますが、その葦も風のないときなどよく見ますと、ほの赤い芽が見えたのではないでしょうか。冬枯れに見る春の兆しが思われます。 (小川和子)

○今日の俳句
寒中の樹に日当るを触れてみる/小川和子
何もかもが寒中の寒さにある中、日当る樹がいかにも暖かそうに思える。つい手に触れてみたのだ。(高橋正子)

○花びら餅
花びら餅を最初に食べたのは、いつだったか。記憶をたどると、50年近くも前、新年句会に出された茶菓子の一つではなかったかと思う。松山に「有家」という小さなお菓子屋があって、松山のお茶事のお茶はこの店がまかなっていた。たしかに、饅頭も、餡が薄紫の小豆色でほどよい甘さでおいしかった。松山は裏千家が主流なので、新年のお菓子に花びら餅が入っているのも自然である。それから、いくどか食べている。横浜に移る前だが、横浜の三渓園の古民家の和風レストランでも花びら餅を頂いた。食べ物の美味しさは、大抵のものは、自分基準で判断でしているが、花びら餅に関しては、どれが美味しいかどうかよくわからない。
昨日大船の「三鈴」の花びら餅を信之先生がお土産に買ってきた。これは、ごぼうが二本の味噌餡である。餅から餡が薄く桃色に透けている。今日17日で、花びら餅は終わりだということだった。一月も過ぎてゆく。

★花びら餅売らるることも今週まで/高橋正子
★ガラス戸の外をつい見て花びら餅/高橋正子

菱葩餅(ひしはなびらもち)は、ごぼうと白味噌餡とピンク色の餅を、餅もしくは求肥で包んだ和菓子である。通称花びら餅。平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、600年にわたり宮中のおせち料理の一つと考えられてきた。歯固めの儀式では長寿を願い、餅の上に赤い菱餅を敷き、その上に猪肉や大根、鮎の塩漬け、瓜などをのせて食べていたが、だんだん簡略化され、餅の中に食品を包んだもの(宮中雑煮とよばれた)を、公家に配るようになった。さらには鮎はごぼうに、雑煮は餅と味噌餡でかたどったものとなった。宮中に菓子を納めていた川端道喜が作っていた。明治時代に裏千家家元十一世玄々斎が初釜のときに使うことを許可され、新年のお菓子として使われるようになり、全国の和菓子屋でも作られるようになった。当初はごぼうが2 本であったが、現在では1 本のものが主流である。

○満作の花

[満作の花/大船フラワーセンター]

★まんさくや小雪となりし朝の雨/水原秋桜子
★まんさくに水激しくて村静か/飯田龍太
★まんさくや町よりつづく雪の嶺/相馬遷子
★万作咲く丘の麓の空晴れて/高橋信之

★満作のひらひら咲くや寒波来て/高橋正子
昨日のことだが、1月26日の満作が花の盛りであった。大船フラワーセンターの南面の丘の麓である。なるほどマンサクの語源は、「まず咲く」が訛ったものともいわれているのだ。春は、冬の先に確かにある。満作は嬉しい花である。(高橋信之)

マンサク(満作、万作、金縷梅、学名: Hamamelis japonica)は、マンサク科マンサク属の落葉小高木。マンサクの語源は明らかでないが、早春に咲くことから、「まず咲く」「まんずさく」が東北地方で訛ったものともいわれている。葉は互生し、楕円形で波状の鋸歯がある。2-3月に葉に先駆けて花が咲く。花にはがく、花弁と雄蕊および仮雄蕊が4個ずつあり、雌蕊は2本の花柱を持つ。がくは赤褐色または緑色で円い。花弁は黄色で長さ1.5cmほどの細長いひも状になる。果実はさく果で、2個の大きい種子を含む。日本の本州の太平洋側から九州に分布する。日本各地の山林に多く自生するほか、花木として栽培もされる。


◇生活する花たち「辛夷の花芽・水仙・千両」(横浜日吉本町)
コメント (1)
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