■參道■
(17th June 2008)
★諏訪社★ 北海道二海郡八雲町山越
・舊社格は社。
・祭は建御名方命。
・文化四年(1807)、山(松前)の人が、漁業の繋榮と住民の氏として、會所から一丁(約一〇九メートル)ほど山手に諏訪明社を創建。
■社號標、鳥居■
(17th June 2008)
■拜殿■
(17th June 2008)
((コメント))
2008年6月17日
山越内關所蹟のに社諏訪社の碑と鳥居があったので行ってみた。參道をよく見るとJRの線路で分斷されているようだった。わかることは、社の裏山には確實に羆が住んでいるであろう、ということ。行くかどうか悩みましたがな。とりあえず、步道橋に登って、線路を見てみた。多分、大昔は、羆は濱邊にも貝とか採りに行ってたはずだ。だから、羆が出てきてもおかしくはない。いや、人のおかげで、彼らは窮屈な生活を强いられているものだと、人の所業について恥ずかしくさえ思うもんだ。ま、人は何を言おうと、自分を正當化させる自己辨護しかしないのだが。
ところで、羆對策はまったくしていなかったので、步道橋を下りたところで、輕く、社殿の寫眞を撮ってやめておいた。
(17th June 2008)
★諏訪社★ 北海道二海郡八雲町山越
・舊社格は社。
・祭は建御名方命。
・文化四年(1807)、山(松前)の人が、漁業の繋榮と住民の氏として、會所から一丁(約一〇九メートル)ほど山手に諏訪明社を創建。
■社號標、鳥居■
(17th June 2008)
■拜殿■
(17th June 2008)
((コメント))
2008年6月17日
山越内關所蹟のに社諏訪社の碑と鳥居があったので行ってみた。參道をよく見るとJRの線路で分斷されているようだった。わかることは、社の裏山には確實に羆が住んでいるであろう、ということ。行くかどうか悩みましたがな。とりあえず、步道橋に登って、線路を見てみた。多分、大昔は、羆は濱邊にも貝とか採りに行ってたはずだ。だから、羆が出てきてもおかしくはない。いや、人のおかげで、彼らは窮屈な生活を强いられているものだと、人の所業について恥ずかしくさえ思うもんだ。ま、人は何を言おうと、自分を正當化させる自己辨護しかしないのだが。
ところで、羆對策はまったくしていなかったので、步道橋を下りたところで、輕く、社殿の寫眞を撮ってやめておいた。