■拜殿■
(14th June 2008)
★上杉社★ 山形県米沢市丸の内1-4-13
・舊社格は別格官幣社。
・祭は上杉謙信。
・天正六年(1578)、春日山城内で急逝した上杉謙信の遺骸は、春日山城内の不識庵に鎭祭されたが、二代目景勝が米澤に移封され、不識庵も米澤城内に移し廟堂となる。
・明治四年(1871)、上杉齋憲は廟堂を改め、十代治憲(鷹山公)を合祀し、翌明治五年(1872)、上杉社と改稱した。
・明治三十五年(1902)、別格官幣社へ昇敍時に、鷹山公を二の丸世子御殿蹟に攝社松岬社として別に祀ることになった。
■參道■
(14th June 2008)
■二の鳥居■
(14th June 2008)
■三の鳥居■
(14th June 2008)
■中門■
(14th June 2008)
■拜殿■
(14th June 2008)
■幣殿、本殿■
(14th June 2008)
■境内社春日社■
(14th June 2008)
・元元、千年ほど前に越後守であった藤原遠成が、上越の春日山頂に春日大社を分靈したのに始まるという。
・上杉景勝の會津、米澤への移封により、遷座。
・上杉家の名君鷹山公の誓詞奉納が知られる。
・大正八年(1919)の火事で類燒被害を受けるも、昭和五十六年(1981)、市民の淨財により再建。
■攝社松岬社■
(14th June 2008)
<一の鳥居>
<參道、二の鳥居>
<拜殿>
<拜殿、本殿>
・舊社格は縣社。
・祭は、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼續、細井平洲、竹俣當綱、莅戸善政。
((コメント))
2008年6月14日
上杉家の米澤城蹟に鎭座。會津の太守が上杉であったときは、その宰相であった直江山城守兼續の居城であったところである。
天氣が良く、日光がまぶしい。觀光客もたくさんいた。社は氣がまったくなく、分靈というか、上杉謙信の供養塔を格化したようなもんだろうというのが自分の感想である。
(14th June 2008)
★上杉社★ 山形県米沢市丸の内1-4-13
・舊社格は別格官幣社。
・祭は上杉謙信。
・天正六年(1578)、春日山城内で急逝した上杉謙信の遺骸は、春日山城内の不識庵に鎭祭されたが、二代目景勝が米澤に移封され、不識庵も米澤城内に移し廟堂となる。
・明治四年(1871)、上杉齋憲は廟堂を改め、十代治憲(鷹山公)を合祀し、翌明治五年(1872)、上杉社と改稱した。
・明治三十五年(1902)、別格官幣社へ昇敍時に、鷹山公を二の丸世子御殿蹟に攝社松岬社として別に祀ることになった。
■參道■
(14th June 2008)
■二の鳥居■
(14th June 2008)
■三の鳥居■
(14th June 2008)
■中門■
(14th June 2008)
■拜殿■
(14th June 2008)
■幣殿、本殿■
(14th June 2008)
■境内社春日社■
(14th June 2008)
・元元、千年ほど前に越後守であった藤原遠成が、上越の春日山頂に春日大社を分靈したのに始まるという。
・上杉景勝の會津、米澤への移封により、遷座。
・上杉家の名君鷹山公の誓詞奉納が知られる。
・大正八年(1919)の火事で類燒被害を受けるも、昭和五十六年(1981)、市民の淨財により再建。
■攝社松岬社■
(14th June 2008)
<一の鳥居>
<參道、二の鳥居>
<拜殿>
<拜殿、本殿>
・舊社格は縣社。
・祭は、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼續、細井平洲、竹俣當綱、莅戸善政。
((コメント))
2008年6月14日
上杉家の米澤城蹟に鎭座。會津の太守が上杉であったときは、その宰相であった直江山城守兼續の居城であったところである。
天氣が良く、日光がまぶしい。觀光客もたくさんいた。社は氣がまったくなく、分靈というか、上杉謙信の供養塔を格化したようなもんだろうというのが自分の感想である。