■菊王丸墓所■
(21st July 2008)
★菊王丸墓所★ 香川県高松市屋島東町
屋島では、能登守平教經が義經軍に対して、鎧直垂を着ずに、軽装で戰い、見事な技で敵を射落とし逃すことがなかったと傳わり、遂には源義経の四天王の一人佐藤兄弟の兄繼信を討ったという。このときに、繼信の首を取ろうと走った教経の童の菊王丸が弟の佐藤忠信に射落とされたという。この菊王丸は、先に討死した教經の兄通盛に仕えていた若者であり、教經は菊王丸の死を悲しみ、戰いを止め、兵を引いたという。教經は、菊王丸の遺体をこの地に葬ったと傳わる。このときに、菊王丸のいでたちは、萌黄縅の腹巻、三枚甲に白柄の長刀であったという。
(21st July 2008)
★菊王丸墓所★ 香川県高松市屋島東町
屋島では、能登守平教經が義經軍に対して、鎧直垂を着ずに、軽装で戰い、見事な技で敵を射落とし逃すことがなかったと傳わり、遂には源義経の四天王の一人佐藤兄弟の兄繼信を討ったという。このときに、繼信の首を取ろうと走った教経の童の菊王丸が弟の佐藤忠信に射落とされたという。この菊王丸は、先に討死した教經の兄通盛に仕えていた若者であり、教經は菊王丸の死を悲しみ、戰いを止め、兵を引いたという。教經は、菊王丸の遺体をこの地に葬ったと傳わる。このときに、菊王丸のいでたちは、萌黄縅の腹巻、三枚甲に白柄の長刀であったという。