の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

石屋社 / 石屋神社

2013年11月28日 03時05分30秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■手水舎、拜殿■
(23rd November 2012)



★石屋社★ 兵庫県淡路市岩屋字明神799

・延喜式内社、淡路國津名郡、石屋社。

・舊社格は社。

・祭は國常立尊、伊弉諾尊、伊弉册尊。『社總社記』では月讀尊とする。

・社傳によると、崇天皇の御代、三對山に繪島明が鎭座したのが石屋社の始まりであるという。

・當社はかつて來馬に屬し、長元年(1163)の記錄には「天地大明」とある。

・室町時代、大内義興が將軍足利義稙を擁し京に攻め入ろうとして岩屋に軍を進め、三對山に城を築いた折、三對山に鎭座していた繪島明を現在地に遷し、のちに池田氏が淡路を領したとき石屋社を再興したといわれる。

・その昔、功皇后が三韓征伐の折、風待ちのため、當社に參拜、「いざなぎやいざなみ渡る春の日に、いかに岩屋のならば」と詠じたところ風が凪いだといい、それにちなみ、當社ではこの歌を海上安全の護符としていた。

・承曆四年(1080)、石屋のの祟りによって白河天皇が病に罹ったため、當社で祈願祭が執行されたと傳えられる。

・岩屋の對岸、明石市材木町に岩屋社があるが、社傳によると、成務天皇十三年(143)、淡路の岩屋にある二柱を祀る社が波の侵食で海中に沒しようとしていた爲、敕命により明石の名主六人衆が新造船で淡路まで迎えに行ったという。


■鳥居、長屋門■
(23rd November 2012)
 


■手水舍■
(23rd November 2012)
 


■拜殿■
(23rd November 2012)




■拜殿扁額■
(23rd November 2012)
 


■本殿■
(23rd November 2012)
 


■末社八百萬社■
(23rd November 2012)

 


■末社稻荷社■
(23rd November 2012)
 


■大和島■
(23rd November 2012)



((コメント))

2012年11月23日

 夜中に車を走らせ、「道の駅あわじ」にて少し休憩。天候不良であったが、早朝に始動、まずは岩屋の石屋社へ訪問。以前に行った明石の岩屋社の元のというべきところであるので期待して行ったのであるが、社殿は立派なものであるにも關わらず、感じるものはいまひとつの狀態であり殘念な思いであったが、戰亂の合で本來の社地を失っていたということであり、こういう意味では同情せざるをえない。いずれにせよ、岩屋の龍を感じることはなかった。


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