そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

赤山城址(赤山陣屋跡 埼玉・川口市)

2009年10月11日 | Weblog
赤山城址(赤山陣屋跡)碑

 赤山城址(赤山陣屋跡)は、江戸幕府の関東群代として新田開発・治水事業に貢献した伊奈氏の陣屋跡で川口・安行の丘陵地の東京外郭環状自動車道路脇にある。
 赤山城址の案内板等によれば、
 伊奈氏は、家康関東入国と共に鴻巣・小室領1万石を給され、三代忠次以後12代にわたって関東郡代職にあり、関八州の幕領を管轄し、貢税、水利、新田開発等にあたった。三代忠治の時に、赤山領として幕府から7千石を賜り、寛永6年(1629)に小室(現北足立郡伊奈町)から赤山の地に陣屋を移したとされる。
 陣屋と言っても総面積は77万平米もあり、正に赤山城と言っても過言ではない。
 赤山陣屋の堀は、周囲の自然の低地を外堀に利用(この自然低地は総延長約3km深さ10mの湿地帯であったため、足場が悪く、堀の機能を充分備えていたと言われている。)し、内側に人口の内堀を巡らせていた。
 以来、10代163年間、伊奈氏が居城したものであるが、寛政四年(1792)12代忠尊の時、幕府政治の変化と家中の騒動がもとで改易され、赤山陣屋も廃止された。このため陣屋の建物や家臣団屋敷は取り壊されて畑地となり、今は空堀や土塁そして社寺を残すのみとなり、「強者どもの夢の跡」となってしまっている。
 なお、社寺には、山王神社(学問の神様である天神社、武家の守護神である八幡社、そして徳川に縁の深い山王社によって構成、明治になり合祀、赤山村の村社として祀り現在に至る)と、伊奈家の菩提寺である源長寺がある。
  赤山城絵図(出典 「余湖くんのホームページ」より、画像をクリックしますと拡大します)
  赤山城址(赤山陣屋跡) H.P   駐車スペース:有

 
赤山城址(赤山陣屋跡)碑にある案内板(両画像ともクリックすると案内板が見えます)
 
東堀(赤山城絵図のD位置)        南堀(赤山城絵図のA位置)
 
西堀(赤山城絵図のC位置)   山王神社(日枝神社)拝殿、本殿は一段と高い位置に鎮座する

赤山城址(赤山陣屋跡) 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)