はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

山の辺の道をウオーキング その1

2015-07-10 21:28:48 | 古代史の舞台を歩く
梅雨の晴れ間の暑い日でしたが、山の辺の道ウオーキングにでかけました。
今回は、大神神社からスタートして、北へ向かうコースです。何回も通った道ですが、いつ行っても新鮮な道です。

山の辺の道といえば、犬養孝さんの『万葉の旅』が思い出されますが、万葉の歌を友に旅をはじめましょう。

まずは、三輪明神参道の踏切で、まほろば線を見送ってから、山の辺の道に入ります。

狭井神社への分岐のあたりです。まだ、アジサイが咲いていました。

桧原神社までの道は、山の中の道で、いかにも山の辺の道の風情があります。
「古(いにしへ)に ありけむ人も 我がごとか 三輪の檜原に かざし折りけむ ー柿本人麻呂ー」

最近、旅番組などで、よく紹介されている喫茶店がありますが、今日は閉まっていました。


狭井神社から20分ほどで、桧原神社に着きます。この神社は、大神神社の摂社のひとつで、三輪山にある磐座を神体としています。天照大神を祀り、元伊勢とも呼ばれている神社です。この神社の鳥居は、三輪鳥居といって独特な形をしています。(犬養孝さんの『万葉の旅』では、「石灯籠二基を残すだけ」とあるので、50年ほど前は、そうだったんでしょう。)

正面には、注連柱(しめばしら)があり、その中に二上山が見えるんですよ。4月の10日前後には、夕日が雄岳と雌岳の間に沈むそうです。


桧原神社からしばらく歩くと、集落が見えてきます。車谷の集落です。(下のカラー写真は、今日の山の辺の道です。白黒写真は、50年ほど前の風景です。犬養孝『万葉の旅』より)

( 「巻向の 穴師の山に 雲居つつ 雨は降れども 濡れつつそ来し」ー作者不詳ー 「檜原社址から三輪山のすそをすこし東へまわると、目の前に穴師山の支峯があらわれ、車谷の村落が、山裾に埋もれるようにこじんまりとしている…」本文より)


しばらく行くと、相撲神社があります。相撲発祥の地ですよ。「日本書紀」によれば、…。話が長くなるので、結論を言えば、野見宿弥(のみのすくね)が勝ったというお話です。

ここからの景色はたいへん良く、目の前には、巻向遺跡(邪馬台国ではないかと考えられています。)など、大和朝廷発祥の地?が広がっていました。

今回は、ここまでです。(つづく)