どもっ! k-5610っす。

旧ブログ(釣って釣られて)

釣り好きオヤジが言いたい放題、独断と偏見で綴るひとり言でごぜーます。

我思う

2010-01-27 08:29:02 | ひとりごと
釣りを初めて30年以上が過ぎた。

釣り堀に通いだしてからでも、もう10年が過ぎた。

いろんな事を思いつき、試行錯誤の連続…。

あっちこっちの釣り堀に通い、初めて三重の釣り堀に行ったのが「辨屋」。

それまでウキ釣りだったオイラは初めてズボ釣りを目の当たりにすることになった。

時期はちょうど今頃、筏の上にはうっすらと雪が積もっていた。

食い渋りの小さなアタリを拾ってゆくその釣りに、衝撃を受け、通い詰めた。


ネットでいろんな情報を集め、自分なりに試してみる。

この頃が一番楽しかったのかもしれない。

そのうちに、「電脳爆釣団」なるものの存在を知るが、一匹狼のオイラは全く興味がなかった。

そのうち、2002年?頃だったと思う、辨屋の姉ちゃんが「面白い人がおるに、紹介したろ」と言って会ったのがヨッシーさんだった。

偶然、家も近く、何回か一緒に釣行しているうちに「爆釣団」への勧誘を受けた。

最初はお断りしていたが、いろいろと話を聞き、「嫌ならやめりゃええわ」と入団を決めたのだが、

いざ入ってみると皆さんいい人で、とても居心地が良い。

しかしながら、心の底にあるライバル意識は感じられた。

仲よくお付き合いはしているものの、「自分が一番上手い」という自負があったように思う。

実際オイラは情報交換しながらも、この人達と技を競い、切磋琢磨することが楽しかった。

和気あいあいとした大会の中でも、「負けるか!」とひそかに思っていたものだ。

竿は1本と決められたルールの中で、いかに効率よく魚をモノにするか。

そして、これだけは人に負けないという「技」を持っていたし、持とうと努力していた。

オイラにとっての爆釣団は「いろんな釣り堀で「顔」になっている人の集まりだった」

だから爆釣団の大会は「釣り堀師」としての頂点の大会だと思っていた。

今では放送局主催の大会があるが、こんな放送用にドバドバ放流した釣りならだれでも釣れる。

本当のうまさは放送局の大会ではわからないと思うのだ。

ただ、優勝となるとそれなりの腕と運は必要だが…。


おっと、話がそれた。

オイラにとっての爆釣団は「仲良しで釣堀好き」の集団ではない。

爆釣団の団員個人が誰とどう付き合おうが、知った事ではないが爆釣団は「爆釣団」なのだ。

釣り堀で「爆釣団の一員だ」と名乗るのなら、名乗れるだけの行動をしているのか、もう一度胸に手を当てて考えていただきたいと思う。

釣り堀好きが高じて釣堀屋の裏側まで知ってしまった今、釣り堀で釣りをする機会は少ないが、オイラは「爆釣団」を大切なものだと思っている。

昔のように、もっとギラギラした野性味のある集団でいてもらいたいと思うのだが、間違っているだろうか?



釣りが下手になる理由

2010-01-27 00:35:31 | ひとりごと
ズバリ! 魚をいただくと釣りは下手になります。

下手になるというより、上達しないと言った方が正しいかもしれません。

「魚が欲しい!」「釣りたい!」という気持ちが強ければ強いほど、釣りを研究し、熱中し、努力に励みます。

私もそうですが、釣行回数が増えると、家では消費しきれなくなり、近所にも配りにくくなってきたりします、

そんなとき同行者に「どう?いる?」と声をかけると、大抵の場合「いる~!」と答えてくれ、感謝されるのでいい気になってしまいます。

特に釣堀の場合にはこの傾向は顕著に表れているように思います。

桟橋での魚のやり取りは、ほぼ毎日見られる、いわば、当たり前の光景です。

第2回の釣り堀名人戦の覇者「K」さんは、「自分の分」として少しだけ持ち帰りますが、それ以外は気前よく人に配ります。

それが慣習化し、いつの頃からか「K」さんは「保険」としてあちこちのグループから引っ張りダコです。

勿論、「K」さんの人柄が良いからだという事は言うまでもありません。

一方、私が大好きだった先輩の「Y」さんはどんなにたくさん釣っても、自分で持ち帰りました。

会社に持って行き、「またタイですか~」と言われながらも会社で配っていました。

彼は一緒に釣りしていた仲間には、一切、魚を勧める事はありませんでした。

「ちょうだい」と頼めば、気前良く分けてくれましたが、自分から「魚、あげる」とは言いませんでした。

ずいぶん以前、そんなことで話をした時、「魚を簡単にもらえるようになると、釣れない時の悔しさが無くなり、釣りが上達しなくなる。

あなたのように気前よく人にやると、良い人のように見えるし、感謝もされる。

でもそれは釣り人としては相手の為にならない事だ」と言われ、言い合いになった事がありました。

「魚が欲しい!」「釣りたい!」という気持ちが無くなれば、ただの暇つぶしで終わってしまいます。

当然、それでいい人もいるでしょう。

でも、釣りが上手になりたいと思うのなら、貰うべきではないのではないでしょうか。

もし貰ったとしても、自分で釣れなかった悔しさは忘れてはいけません。


のんびりと楽しみたい人、一杯釣りたい人、いろんな人が釣り堀には来ます。

船の場合、一杯釣りたい人は「一杯釣れる釣りもの狙いの船」、一発大物狙いの人は、「大物狙いの船」へと釣り宿がわかれますが、釣堀は違います。

価値観の違いはあれ、「1万円分楽しむんだ!」という意思がはっきり表れています。

だから、「今日は勝った!」とか「元はとったで!」とか「釣り堀屋の勝ちやの~」とか当たり前のように聞こえるのです。

釣堀屋に負けた人は(他の釣り人に負けた人も同じ)次回までに復讐の火をめらめらと燃やし、努力をするのです。

その努力こそが上達につながると思うのですが、いかがでしょうか?


一つだけ、誤解のないように書いておきますが、釣堀屋は「お客さんにたくさん釣ってもらいたい」と思っています。

たくさん釣れると評判が上がり、集客力が増すからです。

そういう意味では、お客さんが「釣り堀に負けた」と口にした時、釣堀屋も「負け」なのです。