重松清さんの「青い鳥」を読みました。
中学の非常勤講師、村内先生は、吃音で言葉がつっかえ、うまく話すことが出来ません。
そんな先生が国語の臨時教員として赴任してきたことに、生徒達は驚き呆れてしまいます。
村内先生が、言葉につっかえながら一生懸命伝える「たいせつなこと」とは・・・。
中学生という揺れる年代。
場面緘黙症の少女、教師を衝動的に刺してしまった少年、いじめの加害者になってしまった生徒達、父親の自殺に苦しむ少年、等、合計7編の、悩んでもがいて苦しんでいる中学生に「たいせつなこと」を伝えるお話と、最後の1編は、教え子である生徒が大人になって恩師に再会するお話でした。
読んでいて切ないくらい苦しい思いをしている子ども達。
村内先生は、吃音ゆえ、思いを伝えられない苦しさを誰よりも分かっています。
話したくなくて口を閉ざしているのではない。
声を出したいのに、口が動かない。口が動いても息が出ない。息を出しても声にならない。
吃音でなくても、どう話せばいいのか、どうすればいいのか分からなくて、孤独のままただ思いを殺して生きている子ども達がいます。
村内先生は、そんな子ども達の前に臨時教員として現れて、彼らに寄り添い、本当の気持ちを理解しようとし、「そばにいること」「ひとりぼっちじゃないこと」を伝えようとします。
「先生は、ひとりぼっちの。子の。そばにいる、もう1人の、ひとりぼっちになりたいんだ。だから、先生は、先生をやってるんだ」
吃音で教師には向いていないと思われる村内先生が、教師を続ける理由です。
「たいせつなことと、正しいことって、違うんですか?」
生徒がそう問いかける場面があります。
村内先生は、「よく分からないけど・・・」とした上で、
「たいせつじゃないけど、正しいこと、あるよな。
しょうがなくても正しいこと、やっぱりあるし、ほんとうは間違っているのに正しいことも、あるよな。
正しくなくてもたいせつなことだって、あるんだ。
でも、たいせつじゃない、たいせつなことは、絶対にないんだ。」
恐らく何度もつっかえながらだと思いますが、そう答えました。
村内先生が子ども達に伝えてきた「たいせつなこと」
その言葉の奥に脈打っているのは、
「誰もが、そして、あなた自身が大切な存在なんだよ」ということだと思います。
そのことを伝えて、また次の学校へと去っていく、村内先生こそが「青い鳥」だったのでした。
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