中古(ちゅうこ)三十六歌仙和歌
飛鳥井雅庸(1569~1615)筆
安土桃山時代。16~17世紀
飛鳥井雅庸は桃山時代の公卿。
蹴鞠(けまり)が巧みで
徳川家康から蹴鞠式の印章を授かり
家職を継ぎました。
歌人・能書家としても有名。
この中古(ちゅうこ)三十六歌仙和歌全一巻は
金銀泥で下絵をほどこした華麗な料紙に
「中古三十六歌仙」
の歌を一首ずつ揮毫したものです。
東京国立博物館蔵。
巻頭の歌は
後鳥羽院のものです。
新古今和歌集 巻第一 春歌上
の十八番目に
和歌所にて
関路鶯といふことを
という詞書のあと
太上天皇
という詠み人の名乗りがある
鶯の鳴けどもいまだ降る雪に
杉の葉しろきあふさかの関
という歌です。
ところで
中古三十六歌仙とは
藤原範兼が撰した「後六々撰」に名をあげられた三十六人の歌人
すなわち、
和泉式部・相模・恵慶・赤染衛門・能因・伊勢大輔・曾禰好忠・
道命・藤原実方・藤原道信・平貞文・清原深養父・大江嘉言・
源道済・藤原道雅・増基・藤原公任・大江千里・在原元方・
大中臣輔親・藤原高遠・馬内侍・藤原義孝・紫式部・藤原道綱母・
藤原長能・藤原定頼・上東門院中将・兼覧王・在原棟梁・文屋康秀・
藤原忠房・菅原輔昭・大江匡衡・安法・清少納言
をいうということになっています。
何ゆえに
筆頭が後鳥羽院?
わたくしは
解説文を
取り違えてしまったのでしょうか?
撰者が不明ですが
「新三十六人撰」
というのもあるそうです。
これは
後鳥羽院、土御門院、順徳院、後嵯峨院、雅成親王、
宗尊親王、源通光、式子内親王、九条良経、九条道家、
西園寺公経、道助親王、西園寺実氏、源実朝、藤原基家、
九条家良、慈円、行意、源通具、藤原定家、八条院高倉、
俊成卿女、藤原光俊、藻壁門院少将、藤原為家、飛鳥井雅経、
藤原家隆、藤原知家、宮内卿、藤原有家、藤原信実、源具親、
源家長、鴨長明、藤原隆祐、藤原秀能。
もう一度飛鳥井の原本に戻ってみましょう。
ほら
藤原定家の歌が
前中納言定家という名で
後鳥羽院の次にきてますね。
この歌は後鳥羽院の歌と同じく
新古今和歌集 巻第一 春歌上
に四十四番目に
百首歌奉りし時
という詞書のあと
藤原定家朝臣
という名乗りがある
梅の花にほひをうつす袖のうへに
軒漏る月のかげぞあらそふ
という歌です。
わたくしの
取り違いでもないみたいです。
なんだか
面白くなってきましたね。
飛鳥井雅庸(1569~1615)筆
安土桃山時代。16~17世紀
飛鳥井雅庸は桃山時代の公卿。
蹴鞠(けまり)が巧みで
徳川家康から蹴鞠式の印章を授かり
家職を継ぎました。
歌人・能書家としても有名。
この中古(ちゅうこ)三十六歌仙和歌全一巻は
金銀泥で下絵をほどこした華麗な料紙に
「中古三十六歌仙」
の歌を一首ずつ揮毫したものです。
東京国立博物館蔵。
巻頭の歌は
後鳥羽院のものです。
新古今和歌集 巻第一 春歌上
の十八番目に
和歌所にて
関路鶯といふことを
という詞書のあと
太上天皇
という詠み人の名乗りがある
鶯の鳴けどもいまだ降る雪に
杉の葉しろきあふさかの関
という歌です。
ところで
中古三十六歌仙とは
藤原範兼が撰した「後六々撰」に名をあげられた三十六人の歌人
すなわち、
和泉式部・相模・恵慶・赤染衛門・能因・伊勢大輔・曾禰好忠・
道命・藤原実方・藤原道信・平貞文・清原深養父・大江嘉言・
源道済・藤原道雅・増基・藤原公任・大江千里・在原元方・
大中臣輔親・藤原高遠・馬内侍・藤原義孝・紫式部・藤原道綱母・
藤原長能・藤原定頼・上東門院中将・兼覧王・在原棟梁・文屋康秀・
藤原忠房・菅原輔昭・大江匡衡・安法・清少納言
をいうということになっています。
何ゆえに
筆頭が後鳥羽院?
わたくしは
解説文を
取り違えてしまったのでしょうか?
撰者が不明ですが
「新三十六人撰」
というのもあるそうです。
これは
後鳥羽院、土御門院、順徳院、後嵯峨院、雅成親王、
宗尊親王、源通光、式子内親王、九条良経、九条道家、
西園寺公経、道助親王、西園寺実氏、源実朝、藤原基家、
九条家良、慈円、行意、源通具、藤原定家、八条院高倉、
俊成卿女、藤原光俊、藻壁門院少将、藤原為家、飛鳥井雅経、
藤原家隆、藤原知家、宮内卿、藤原有家、藤原信実、源具親、
源家長、鴨長明、藤原隆祐、藤原秀能。
もう一度飛鳥井の原本に戻ってみましょう。
ほら
藤原定家の歌が
前中納言定家という名で
後鳥羽院の次にきてますね。
この歌は後鳥羽院の歌と同じく
新古今和歌集 巻第一 春歌上
に四十四番目に
百首歌奉りし時
という詞書のあと
藤原定家朝臣
という名乗りがある
梅の花にほひをうつす袖のうへに
軒漏る月のかげぞあらそふ
という歌です。
わたくしの
取り違いでもないみたいです。
なんだか
面白くなってきましたね。