大谷選手の活躍(ダルビッシュもだが)でMLBがTV放映される機会が増えた。見ていて感心するのは内野守備の上手さである。捕球も鮮やかだがファーストへの送球の速さには目を見張る。日本のプロ野球ではあまり感じたことがない。無理な態勢で捕球し遠投になるときも凄い。Hモト氏(いつもブログに登場願う橋下氏ではない)なら、あれくらいプロなら当たり前ですよときっと言うのだろうが。それからピッチャーは極端に言うとストライクを投げようとしていない。ボールになるギリギリを何時も狙っているようだ。子供の頃の草野球では如何にストライクを入れるかだったがMLBと比べるのも変な話だが天と地ほどの差である。
高齢になると行動範囲が限られて自ずと実体験は減ってくる。特に人との関係は極端に少なくなる。敢えて人間関係を整理して行こうという気持ちもあるのだが。外界からの刺激といえばTV,新聞、ネット、読書くらいだろうか。日常生活で経験できない最たるものは読書だろう。B級読書を絶やすことはないが多くはこれで良く出版まで漕ぎつけたなという類だ。しかし中には凡そ自分ではこんな表現はできないだろうという秀作に出くわすことがある。精巧に作られた折り紙細工のように重層的で解きほぐしても中々元の形、どういう考え、思いからこの文章に辿り着けるのか分からない。自身のブログ文章は喩えれば折られていない元の平たい1枚の紙片のようなものである。草野球とMLBくらいの差がある。・・・「内部と外部の二元論が超えられなければばらないんだ。地上と天上、現実と観念、物質と精神。どれも内部と外部の変奏にすぎない。難しいのは超越だろうね。超越という言葉は、キリスト教が支配的なところでは天上、観念、精神などに関係するものとして用いられてきた。しかし違う。超越とは離脱で、簡単にいえば外に出ることだ。外に出るとは、内部と外部の二項対立の世界の外に出ることなんだ。倫理的にいえば内部は悪、外部は善の世界になる。地上は悪の世界で、善の世界は天上にあるという具合だね。」・・・オカルト宗教を扱った本ではない。ミステリー小説の会話である。こういう文章を読むと自身の稚拙さに茫然とせざるを得ない。どうあがいても物書きなどにはなれない。少しだけボキャブラリーは増えていっているような気はするが。
高齢になると行動範囲が限られて自ずと実体験は減ってくる。特に人との関係は極端に少なくなる。敢えて人間関係を整理して行こうという気持ちもあるのだが。外界からの刺激といえばTV,新聞、ネット、読書くらいだろうか。日常生活で経験できない最たるものは読書だろう。B級読書を絶やすことはないが多くはこれで良く出版まで漕ぎつけたなという類だ。しかし中には凡そ自分ではこんな表現はできないだろうという秀作に出くわすことがある。精巧に作られた折り紙細工のように重層的で解きほぐしても中々元の形、どういう考え、思いからこの文章に辿り着けるのか分からない。自身のブログ文章は喩えれば折られていない元の平たい1枚の紙片のようなものである。草野球とMLBくらいの差がある。・・・「内部と外部の二元論が超えられなければばらないんだ。地上と天上、現実と観念、物質と精神。どれも内部と外部の変奏にすぎない。難しいのは超越だろうね。超越という言葉は、キリスト教が支配的なところでは天上、観念、精神などに関係するものとして用いられてきた。しかし違う。超越とは離脱で、簡単にいえば外に出ることだ。外に出るとは、内部と外部の二項対立の世界の外に出ることなんだ。倫理的にいえば内部は悪、外部は善の世界になる。地上は悪の世界で、善の世界は天上にあるという具合だね。」・・・オカルト宗教を扱った本ではない。ミステリー小説の会話である。こういう文章を読むと自身の稚拙さに茫然とせざるを得ない。どうあがいても物書きなどにはなれない。少しだけボキャブラリーは増えていっているような気はするが。
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