太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

習い性となる

2020-05-24 08:07:54 | 社会観察

習慣も続けていると自然と身に付いて生まれつきの性質のようになる。Custom is a second nature.書経にある諺である。コロナが収束に向かっている。長い自粛にも何となく慣れて習い性になりかけたところが今度は緩和ロードマップである。元の生活に戻るためのステップは示されているが時間軸は無い。従って計画ではなく、ある所を起点にしてDAY1,DAY2とするようなものである。恐らくこんな先の見通せない時代は恐慌や戦時以外は無かったのではないだろうか。自粛慣れしてくるとややもすればどこに戻れば良いのかさえ分からなくなる。コロナ禍前の状態といっても何時のどのような状態であるのか分からなくなってしまう。しかも必ず復元しない何かが残るので同じ状態にはならない。過ぎた時は戻らないと思って新たなスタートを切る方が結局急がば回れである。

リモートワークにも少し慣れたところで再び満員電車に揺られて見たくもない上司に気を遣う日々に戻るのは相当エネルギーを消耗するだろう。これも考えようで以前の様式に戻るのではなくそれが新しい出発点だと思えば良い。リモートに慣れない上司の実力も見えたのだから以前と同じではない。能力の無い上司ほど前はこうだったとやたら張り切るだろうが働き方改革などできない連中と思って面従腹背に徹するべきだ。パソコンで苦労して作ったデータがDeleteボタン一発で消えてしまった時、あそこはどうだったかなど思い出す作業の方が余ほど手間がかかる。新たな気持ちで作り始める方が以前より早くスマートなものになることはよくある。商売でもコロナ前に戻そうとしても簡単ではない。適切かどうか分からないが、パラリンピックの基本理念にもなっているルートヴィヒ・グットマン博士の有名な言葉「失われたものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」を思い出せである。We should make the most of what is left without counting on what we lost. 

もう戻るべき原点は時間の彼方に霞んでいる。いきなり巡航速度に戻ろうとするのではなく、新たにゆっくり徐行しながらスピードを上げていくしかない。日本のコロナ収束に向けて海外メディアの論評が面白い。政府(の対応)よりも国民の習慣を賞賛しているという。イギリスのガーディアン紙は「殆どの賞賛は戦いの前からウィルス対策の習慣(手洗い、マスク、うがいなど)で武装した国民の静かな決意に向けられている」と。このコメントの素晴らしいところは「国民の静かな決意」という表現だ。原文は知らないがQuiet Determination だろうか。日本人の対応をよく表していると思う。次に日本人が試されるのは復興でも復活でもなく新しい社会の開拓である。時代は変わったと捉えるべきだろう。



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