太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

期待外れだった

2019-03-23 08:40:33 | 日記

国立歴史民族博物館がリニューアルされたので行ってみた。特に先史・古代の展示室が変わったということだった。ちょっと楽しみにしていたのだが期待外れだった。向こうが悪いのではなくこちらの勝手な思い込みだった。旧石器・縄文・弥生・古墳の頃を先史・古代時代(文字出現以前)として纏めてある。しかし土器や石器の陳列が少し増えたことぐらいだろうか。以前は文字出現以前は歴史ではないという考えもあったようで、歴史民俗博物館の名前からしてあまり力を入れて展示していなかったそうである。その時代を歴史として捉えるかどうかは学者に任せるとして期待していたのは日本人はどこからやってきてどのような文化を築いたのかを知りたかった。

しかし渡来人についての説明はごく少なかった。石器については以前読んだ本では、ホモサピエンスは世界各地で同じような形状のものを作成し、ネアンデルタール人は個性豊かなものが多いと説明していた。日本列島にやってきたのはホモサピエンスである。これはコミュニケーション能力の差であってホモサピエンスは広く普及させる能力(言語や抽象化能力)に長けていたとのこと。文字が無いのにどうしてわかるか。喉の骨を見れば声帯の発達具合がわかってどの程度多様な発声をしていたかわかるそうだ。残念ながら似たような石器を並べていたがその説明は無かった。

ネアンデルタール人が強靭な体力に任せて猪を追いかけるのに比べ、体力的に劣るホモサピエンスは優れたコミュニケーション能力によって、俺がこちらから追うからお前は向こうで待ち伏せしろとかチームで狩りが出来て捕獲確率も上がったという。遠くの村で他の部族に会った時でも口頭で石器の作り方も教えられただろう。伝達として文字が無い時代では言葉の豊富さはそれだけで優位である。期待外れは興味があるのは歴史よりもっと前の時代の人類の進化の過程であったためだ。人類がアフリカを出て拡散した時代で日本列島に辿り着いたころである。「歴史」はそもそも大の苦手科目であり興味も無かったがその歴史を展示する博物館であるということまでは考えていなかった。博物館の問題ではなくこちらの勘違いからの期待であったから責めるわけには行くまい。

大学生くらいの学生を数名引きつれた講師風の人が訳知り顔で大声で説明しながら歩いていた。煩いので少し間を空けて歩いたが、火の利用のところで追いついた。学生の後ろで老人が講師の説明をちゃっかり聞いている。老人が獲物を焼いている展示を見て、火を使って焼くことを知っていたんですねと言うと講師らしき者が、火の利用はこれよりずっと前の時代から行われていましたからねと意味不明の答えをしていた。背後から老人に火を利用して調理しなくても、山火事でまる焼けになった動物を、食べるものがが無くて食べてみたら美味しかったので覚えたのでしょうと言ってやった。講師にも聞こえたか無言で去って行った。火は利用していなくても焼き肉は食べただろうというのが私の学説である。

宇宙人のような土偶の前で親子連れが何やら感心して見入っている。デフォルメした人間らしき土偶も何体かある。土偶の後ろには当時の人を再現した模型が生きているみたいに精巧に作られ飾ってある。親子の傍で、あんなに器用に土偶を作る人が本気で人間を模して作ったら後ろの再現人体模型くらいに作れるだろう、これは何か儀式用だなと独り言を言っておいた。期待外れの見学だったがちょっとだけ気が晴れた。



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