太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

消えゆく景色

2021-04-18 07:48:53 | 日記
 東京まで電車で1時間、通勤圏内ではあるが周囲にはまだ田圃も多く残っている。昨日は午後から大雨が降るというので早めに自転車で散歩(良い表現がない)に出掛けた。田圃には田植えの準備だろう既に何面かは水が張ってある。蛙の泣き声も聞こえる。用水路の土手には鮮やかな黄色い菜の花が満開(と言うのかどうか)で遠くまで列をなしている。用水路から枝分かれした小溝にも水が溢れている。思い出せば子供の頃はこういう小さな水路でため池から流れてきた鮒などを網で捕まえて遊んでいた。石垣のあるところでは小さな竹竿の先に短い糸と針に大きなミミズをつけてどんこを釣った。年長者は直接ガマと呼ばれる石垣の間に手を突っ込んで摑まえる。たまに大きなウナギなどが居て引っ張り出すのに悪戦苦闘していた。小さい自分は穴に手を入れられたらザリガ二が居て挟まれたらどうしようと怖くてできなかった。捕まえた魚を食べる習慣はなく大抵は焼いて砕いて鶏の餌になる。夏の夜は懐中電灯をぶら下げて網で捕まえに行く。勿論小さかったのでついて行くだけで漁(というかどうか)には参加させて貰えない。一度は60㎝くらいの大鯰がゆらゆら泳いできたのを小さな網で抄くって捕まえた(のを見た)。もっと小さな泥の溜まった水路ではドジョウを捕まえる。両手で泥をひっくり返すと何匹もドジョウの白い腹が見える。これは少し離れた町に自転車で売りに行く。売上はガキ大将が貯めておいて共用の野球道具などを買う。これも見ているだけでドジョウ売りも自転車に乗せて貰ってついていくだけである。これ江戸時代?いや子供の頃の思い出だからそんな昔の話ではない。
 自転車で田園地帯を走っていると目の前にある風景で子供の頃を懐かしく思い出すがそれは借り物の風景であって昔に戻れるわけではない。ホームセンターの跡地にスーパーと焼き肉屋、ニトリが建設中だ。もうすぐ完工だろう。田圃が拡がって行くことはないが商業施設はどんどん増える。周辺に住宅も随分建った。やがて一大商業地になるのだろう。借り物の中で仮の生活をしている感覚は何十年も住んでいるが消えることはない。橋の上で自転車を止め汗を拭う。顔にあたる春風は産毛そろりと撫でる。この感覚は同じである。


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