太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

読書

2015-06-14 11:55:31 | 日記

 いつの頃からか読書、とくに長編小説は読まなくなっていた。本はもともと好きな方であり、子供の頃は沢山読んでいたような気がする。大人になると、専門書であったり、集中力の要らない軽いものだけになっていった。時間が出来た現在、古本屋に立ち寄る機会も増え(行くところがこれと言って無いためだが)先日、度々ノーベル文学賞候補となっている著名な作家のどちらかと言うと近刊を買った。特に興味があった作家でもないが、比較的近刊であり、賞のたびに騒がれている作家ということ、何よりも新品同様の本で定価1800円のものが108円であったことが興味を魅かれた。

 内容について読書感想文を書くつもりは無いが、それなりに一気に読ませるストーリー展開は見事である。無駄な説明や描写もなかった。これが108円と言う方が気になった。新聞が1日過ぎると古新聞となり僅かなトイレットペーパーと交換されたり、地区の資源回収に協力したりするのと同じ扱いになることがある意味不思議である。発売前から予約が入るほどの人気作家をしてこれかと。そこには大量出版という希少性の正反対のシステムが存在する。もちろん大量出版自体が悪いわけではなく、より多くの読者の目に触れ影響を及ぼすという意味で。しかし「商品としての価値」を考える場合、流行と古典のどちらを作家は意図しているのだろう。

 もっとも価値(高値)ある流行は「今日発刊される明日の新聞」であり、不可能なことでもある。も長く読み続けられる古典は「普遍の言葉で綴られる」ことが最低限の条件であり後世の理解を得る為には流行を取り入れること得策ではない。

 誰かが核廃棄物の処理で「10万年間もこの下に危険なものが埋まっているということを伝え続けられる保証はない。言語や文字すら変わっているかも知れない。」と言ったが具体的にこの問いかけに答えたものはない。10万年間読み伝えられる古典中の古典になるであろう「取り扱い説明書」。

 録画テープの巻き戻しのような物語(タイムマシーンではない。結果が連続的に原因に向かって進んで行く、退行かも)あれば読んでみたい。

 事実がメビウスの輪のように同じところにいつの間にか戻ることを繰り返す小説、読むのはしんどいだろうな。

 いい歳して下らんことを書いてしまった。取敢えず古本屋に今日も行く。



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