上武散歩道

ダイエットのため毎日徘徊。
足で見つけた群馬と埼玉の情報を
綴ってみます。

78.6km Ⅰ (非公認)館林ディスティネーション・キャンペーン ①

2011-07-20 20:19:06 | 上州の道
きょうももうひとつ。
7月18日(月)、海の日。
この暑かった日に、達成しようとも思っていなかった
トライアスロンを達成してしまった(距離は短いけれど)。
しかも普通の順番の逆のラン→バイク→スイムで。

スイムは800mしか泳げなかったけど。
わかったのはトライアスロンでスイムを最後にすると
間違いなく溺死者が出るということ。

この日は朝20kmのジョグ、そして館林までバイク、オクサマに誘われてプールへ・・・
・・・よく無事に帰ってこられたもんだ。

さて、その自転車。
館林まで走っていって、観光名所を探してみました。
大分マニアックなものも有りますが、群馬D.C.に絡めて
普段行かないところも巡ってみた。

久々に利根川サイクリングロードを下って刀水橋へ。

そこから一路多々良沼へ。
冬に何度かご紹介しましたが、冬は水鳥が飛来し、
バードウォッチングのメッカですが(古い言い方?)
この時季はそんなことも無い。
何せ、平均すれば館林の方が熊谷よりも暑い。
炎天下、じっとしているのは大変だ。

この多々良沼の東2kmほどのところに、



県立館林美術館。
現在は藤牧義夫展が行われている。

この美術館の庭の池に



蒲の穂がもう出ていた。
因幡の白ウサギでも有名なこの蒲の穂だが、
うなぎの蒲焼の語源でもある。

昔はうなぎは筒切りで焼いていたので、
ちょうどこの蒲の穂のような形だった。
だから、「蒲の穂焼き」「蒲焼」と呼ばれた。
現在のように開いて、串をうつ焼き方になっても
名前が残ったと言うことのようです。

ここから、館林市外を通って「分福茶」でおなじみの茂林寺に行こうと
ペダルを踏んでいると、
「館林藩士 住居 武鷹館」と言う看板が。
これは行って見ないと。



門をくぐると、



五〇石取りの中級武士家が移築されていました。
あ、今日は茅葺の家が二つ目だ。

移っているお二人はボランティアガイドさん。
お話の面白い、お父さんは気さくにいろいろと話してくださいます。

たとえば、



玄関の礎石がなぜか石臼。
これは魔よけの意味があるらしく、
実際に移築の際の発掘で確認されたそうです。

安中藩の見学に行ったこととか
この屋敷はおそらく幕末ころの建物だとか。
こんなことを話し込んで30分ほど。

冷たいお茶もいただきました。



こちらは長屋門。
中間等の使用人が住むところです。

こちらはかまど。



綺麗に移築されています。
火を使っていないので燻されず、虫がつくのが困るとおっしゃっていました。

この日は気温が高かったのですが、
平屋で屋根が高いこと、
厚い茅葺であることから、屋敷の中はとっても涼しかったです。

この武鷹館、多分、ほかで紹介されることはあまり無いと思います。
地味ですが、いい物を紹介できたと本人、自己満足しております。

さて、最後に、床の間に飾ってあった



鎧兜。これも地味ですが味があって、見る価値ありです。
歴史好きの皆様、ぜひごらんになってくださいませ。

渋川市 旧子持村 三宿を巡る (番外) 杢ヶ橋関所跡

2011-07-20 19:48:12 | 上州の道
朝起きたとき、あんまり静かなので、
台風はもう行ってしまったのかと思ったのだが、
まだまだ、東海地方にいます。

降ったり止んだりしているかと思ったら、
雲がいつもと逆に東から西へとすごい勢いで流れていく。
これから、雨風が強くなるんだろうな。

さて、子持村の三宿の続き。
まあ、正確には旧子持村ではなく、もともと渋川市の
杢ヶ橋関所跡をご紹介します。

ちょうど、北牧宿の吾妻川を挟んだ対岸にある関所です。

昨日の横堀宿から折角登った坂を下り返し、
北群馬橋で吾妻川を渡り、日陰道を左に曲がる。

暫く行くとこんな看板が。



杢ヶ橋関所跡。


看板を左折し、坂を下って、



吾妻線の線路を越えると・・・


・・・左側に何か?



見事な茅葺屋根のお宅が。

もう少し近づいてみましょう。


立派だなあ・・・
でも関所跡はどこ?



実はこの茅葺の家が杢ヶ橋関所跡のようです。

説明板によると、1620年に設置されたこの関所は
安中藩、次は高崎藩から役人が派遣されていたようです。
あんな遠くから2週間にいっぺん交代で役人が送り込まれていたようです。
宮仕えはむかしから大変ですねえ・・・

おそらく、この茅葺の家はその派遣された役人の
番所または役宅だったのでしょうね。

なかなかいいものが見られました。
ただ・・
この家、どうも現役で人が住んでらっしゃるようなので、
見学に行くときはご迷惑にならないようにしてくださいね。
(そんな物好きいるのか?)

この南にある金井宿は、本陣跡が、児童公園になっていて、
往時の面影は見られません・・・

このあと、吾妻新橋まで出て白井宿を回って実家へ帰ったのでした。