上武散歩道

ダイエットのため毎日徘徊。
足で見つけた群馬と埼玉の情報を
綴ってみます。

日の入り終い

2011-12-31 18:19:32 | その他
3月11日以降、さまざまな忘れられない出来事がおきてしまった今年も残り6時間足らず。
昨年と同様に最後の日の入りを撮りにいってきました。
明日の初日の出は、見られるかどうかちょっと怪しいところですので。
だいたい、物事には初めがあって終わりがある。
初めばかりでなく、終わりにも注目したいところです。


もうすぐ沈む2011年最後の太陽。
手前にはススキの穂が赤く輝く。


秩父の山並みに沈んでいく太陽。



徐々に小さくなっていく太陽。




とうとう沈みきった太陽。



今年最後の残照。10数時間後には「初」日の出となって戻ってくる。



残照に映える秩父の峰々。中央のギザギザの山は(たぶん)百名山のひとつ、両神山。
写真を撮り終えて自宅に戻ると、近くの小さな愛宕様に灯明が灯っていた。
年越しの準備なんだなあ・・・

来年こそ、良い一年となるように努力していきましょう。

つたない記事を読んでくださった皆様、一年間ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

大晦日の利根川ベリ。

2011-12-31 18:00:01 | 武州の道
今日は大晦日。今年も残り数時間となりました。
「十」は「そ」と読む。五十六、三十路などなど。
大晦日って元は「大きい三十日」という意味なんだよね。
旧暦は30日までしかないので、一年の終わりをそう呼んだんだよね、きっと。

風はあったけれど、日差しのあった今日一日。
利根川べりの様子は・・・


河川敷の向こうからネコが登場。

畑に張り込み・・・

こっちを振り返る。
そして・・ごろん。

なんとものどかな光景でした。

なんて、していると視野の端に黒い影が横切っていった。



チョウゲンボウ・・・ぽいかなあ。
どうだろう?
慌てていたから露出の補正が追いつかない・・



もしもチョウゲンボウだったら、一年ぶりの再会です。
ことしはここで、いろいろな猛禽類に出会えました。

一番遊んでくれるノスリさんは今日も枝の上。


奥に写っているのは赤城山の鍋割。テーブルマウンテンですねえ。



流れにはコガモが浮かんでいた。

そしてここでも菜の花が・・・


案外うららかな大晦日でした。


餅つき

2011-12-30 20:44:11 | その他
今日は実家へ行って餅つき。
ほんの少しだけれど、ムスメさんも連れて行くことができて、母は久々に、兄は初めてムスメさんに対面。
慌しい年の瀬でしたが、喜んでもらえたようです。

で、その餅つき。
我が家では曽祖父が作ったケヤキの臼と、父がサルスベリで作った杵(柄は曽祖父昨)で餅を搗く。


これがその臼と杵。
臼は70年近くたっているようです。杵も15年くらいたっています。
杵が二本あるのは、我が家では向かい合って二人で搗くのが流儀だから。
兄とワタクシが向かい合って搗きます。

先ずはもち米を蒸しあげます。


今回は3升5合。これを3臼つきます。

蒸けたら
臼に移す。




で、このまま搗かずに先ずはこねる。


このこね方で持ちの出来が決まるといっていい。
ある程度餅にしてから出ないと、杵で搗くたびに米粒が飛び出してしまう。

もちは縁起物なので、いろいろと作法があったりするのですが、それは省略して。

怪力のおっさん二人でつくと、

あっという間に米粒は無くなり、立派な餅になる。

僕たちは25年以上こうやって餅を搗いてきている。
この餅はねっとりとしてよく伸びる。けれどもべたつかないで表面がぱりっと焼きあがる。この餅を食べなれてしまうと、買った餅や餅つき機で搗いた餅は食べられない。

搗きたての餅は納豆や大根おろしで昼食になる。子供の頃は餡餅も作ってもらった。

一臼目は鏡餅やお飾り、二臼目は切り餅、三臼目は切り餅と昼食になる。



餅は搗いてきたけれども、鏡餅を丸めたり伸したりするようになったのは父が亡くなってからだから、まだ3回目くらい(父と祖母の喪中でつかないことがあったので)。

まだまだへたっぴです・・・



ご苦労様。一年休んでまた来年もよろしくね。

42週間

2011-12-30 20:27:21 | その他
東北地方太平洋沖地震から42週間。
思いもよらない災害に見舞われた年も暮れていこうとしている。

大変な一年となったが、個人的に言えば待望の子供を授かり、無事に育っているありがたい一年になった。

この1週間、年の瀬ということもあって1年を振り返る番組が多く放送されせた。
あれからもう10ヶ月近くが経とうとしているのだが、映像を見ると一瞬で3月11日にうけた衝撃を再び味わう。

いつまでもあの日にとらわれているわけには行かないが、まだ忘れたくない。
忘れずに前に進んで行きたい。

無事に年を越せるのをこれほどありがたいと思うことはもう無いんだろうな・・・

利根川の小鳥たち

2011-12-29 19:32:56 | 雑影
今日は下手な鉄砲をたくさん撃ってきたので、もう少し載せてみます。
3羽のノスリさんを見送った後ももう少し歩き続けます。

・・と、何かを見つめる白猫。



まだハンティングの姿勢ではないけれど、何かを狙っている。
何を狙っているのかな?

葦原には、

隈取がきれいなホオジロ。



いつも遊んでくれるモズ。
この子は男の子かな?このあたりが縄張りなのか、よく姿を見せてくれます。

続いて・・



賑やかなヒヨちゃん。
真正面から見たら、一瞬だれだかわからなかった・・・

見上げると・・・


小首をかしげて「呼んだ?」

カワラヒワかな?体色がきれいだね。


ちょっと遠いけれど・・


ツグミさん。最近、随分数が増えてきました。
ただ、まだ木の上にいることのほうが多いようです。
その上、枯れ草の丈が長くて、気づいたらツグミさんも慌てて足元から飛び立つ・・なんてことが多くて、地上のツグミさんの撮影が出来ないでいます・・・

冒頭の白ネコはこの辺りを狙っていたのかな?あとはスズメもいたけれど・・



「なに見てんのよ。逃げられちゃったじゃない」
どうやらハンティングは失敗のようです。

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば(源宗于 朝臣)

山里は冬はいっそう寂しさがつのると思うなあ。人は来なくなるし草も枯れちゃうし。

ここでは「かれぬ」は「枯れる」と「離れる(かれる)」の掛詞。
よく読むと、源宗于、実際には冬の山里にはいっていないのがわかります。
「寂しさがつのると思うなあ」ですからね。
この歌は、想像の産物ですね。まあ、平安貴族には鴨長明や兼好法師のような隠者の生活は憧れではあっても、実際にすることは無いでしょうからね。

草木が枯れて人目が減るので、ワタクシにとってこの時期のこの場所は鳥の雑影にもってこいとなっています。
・・・寒いけど。

水面に近づいて見ると、流れのすみに緑の草が。



この時期には鮮やかな緑が、春を待っているように感じられます。