共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はロッシーニの祥月命日〜《小荘厳ミサ曲》より最後のカストラートによる『Crucifixus』

2022年11月13日 17時17分17秒 | 音楽
今日も《あつぎ国際大道芸》が開催されているのですが、何だか朝から偏頭痛が酷くて起き上がるのも億劫なので、今日は自宅で静かに過ごすことにしました。気圧の変化で症状が出やすい体質なのですが、天気予報通り午後から雨が降ってきたことと、どうやら無関係ではないようです。

ところで、今日11月13日はロッシーニの祥月命日です。



ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ(1792〜1868)は《セビリアの理髪師》、《チェネレントラ(シンデレラ)》、《セミラーミデ》などの多くのオペラを作曲したイタリアの作曲家で、美食家としても知られています。

1792年にイタリアのペーザロに生まれたロッシーニは8歳になった1800年にボローニャに移り住み、ボローニャ音楽学校に学びました。1810年、18歳の時にフィレンツェで一幕のオペラ・ファルサ《結婚手形》を初演してオペラ作曲家としてデビューすると、1812年、20歳の時にオペラ・ブッファ《試金石》をスカラ座で初演して初のヒット作となり、兵役を免除されました。

その後のロッシーニは《チェネレントラ》《タンクレーディ》《アルジェのイタリア女》《セミラーミデ》と、数多くのオペラを世に送り出しました。しかし1829年、37歳の時に移住先のフランス・パリで発表したオペラ《ウィリアム・テル》を最後にオペラ作曲家てしてのキャリアを引退してしまいました。

44歳になった1836年にパリを去ったロッシーニはイタリアに戻り、ボローニャやミラノに移り住みました。1839年、47歳の時にはボローニャ音楽院の永久名誉会長に就任し、イタリアでの音楽教育に力を入れることとなりました。

1855年、63歳の時に病気治療のため再びパリに戻ったロッシーニは、健康を回復した後に自宅のサロンで毎週土曜日に『音楽の夜会』を催、グノー、サン=サーンス、ヴェルディ、リストなどの作曲家や当時の一流の歌手など、多くの著名人が集ったといいます。72歳になった1864年には私的演奏会を開いて《小荘厳ミサ曲》を初演しました(公開での初演は死後の1869年)が、1868年の11月13日に死去しました(享年76)。

ということで、今日はロッシーニ最後の作品となった《小荘厳ミサ曲》をご紹介しようと思います。

《小荘厳ミサ曲》はロッシーニが亡くなる5年前の夏にパリ郊外のパッシーにあった彼の別荘で完成しました。初演は1864年3月14日にパリの富豪ビレ=ウィル伯爵邸で、少数の聴衆(友人)のみで開催されました。

この曲は《小荘厳ミサ曲》とタイトルがつけられてはいますが、いわゆるカトリックの盛儀ミサの形式に乗っ取って書かれているため、略式の小ミサ(ミサ・プレヴィス)はなく紛れもない『荘厳ミサ曲』です。では何故『小』なのかというと、ソプラノ・アルト・テナー・バス4人の独唱者と各パート2人ずつ計8人の合唱による総勢でも12人の歌手と、2台のピアノとハルモニウム(足踏み式のリードオルガン)という小編成のために書かれたためなのかもしれません。

初演版の楽譜に書かれたロッシーニによる序文には、次のように書かれています。


「二台のピアノとハルモニウムの伴奏を持つ四部からなる《小荘厳ミサ曲》。この演奏には12人の歌い手があればよい。8人は合唱を、4人が独唱をうけもつが、この人たちは12人の小天使にほかならない。

神よ、このような編成をご容赦下さい。この12人は、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」のなかの使徒たちでもある。主よ、あなたの使徒たちの中には誤った音を歌っている者がいますが、私の食卓には一人のユダもおりませんからご安心下さい。

愛情をこめて、あなたのお言葉を正しく歌うでしょう。」


初演の翌年、販売促進を目論む出版社から器楽の部分をオーケストラ版に改訂するよう要請されたロッシーニは、渋々ながらオーケストレーションを施しました。しかし、結局その改訂版は封印されてしまい、遂にロッシーニの生前に演奏されることはありませんでした。

聴いていただくと分かると思いますが、オーケストラ編曲版はどうしても取ってつけたような音楽になってしまっていますし、合唱団もちょっとおやかましい感じに聞こえてしまいます。後のフォーレの《レクイエム》もそうですが、小編成で着想された音楽を拡張すると、どうしても細部に無理が出てくるようです。

そんなわけで今日は《小荘厳ミサ曲》をお聴きいただきたいと思ったのですが、全体を通して聴くとかなり長いので、その中から『Crucifixus』をお聴きいただきたいと思います。人類史上最後のカストラート(変声期前に去勢した男性ソプラノ)歌手の
アレッサンドロ・モレスキによる歌唱を、貴重なSP音源でお楽しみください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする