最近、スティービー・ニックスの『The Soundstage Sessions』というアルバムを買った。去年の1月に出ていたそうだが、タイトルからも察せられるように、テレビ番組か何かに出演した時のスタジオライブだそうな。DVDも出ているが、CDだけを購入した。え? いや別に深い意味はないです。ライブは、見るより聴く方が好きなだけで^^;
それにしても、スティービー・ニックスの(一応)新譜を買うなんて、実に久しぶり。『トラブル・イン・シャングリラ』以来ではなかろうか。フリートウッド・マックでの活動が忙しくて、ソロ・アルバムにまで手が回らなかったのか。そういえば、マックは去年全米ツアーを行なったそうだが(情報源はこちら)、結局日本へは来てくれないのか....確かに、観客動員が不安といえば不安だもんなぁ...
僕は、実はフリートウッド・マックも大変好きなのだが、あくまでも“バッキンガム・ニックス”以降のマック、つまり1975年の『ファンタスティック・マック』以後のマックが好きなのであって、ピーター・グリーン中心のブルース・バンド時代や、ボブ・ウェルチ時代は、あまり聴いてない。なので、昔から堂々と「フリートウッド・マック好きです」とは言いづらかったし(笑)、「マック好き」と言う人がいると、どの時期のマックが好きなのか確認してから、話をするようにしていた(笑)。けど、その『ファンタスティック・マック』が出てから既に四半世紀が経過し、世間では“フリートウッド・マック=バッキンガム・ニックス以降”として認知されているので、近頃では気にせず「フリートウッド・マック好きです」と言えるようになった(笑)。でも、振り返ってよくよく考えてみると、ピーター・グリーン期やボブ・ウェルチ期のマックしか認めない、という人には会ったことがない。ほとんどの人が、“バッキンガム・ニックス”以降のマックのファンだった。別に、いちいち気にする必要はなかった、ってことだ(爆)
フリートウッド・マックの名前を知ったのは、1976年夏頃かと思う。ちょうど、『ファンタスティック・マック』が、発売後1年近く過ぎてもじわじわと売れていた頃だ。もちろん、これはアメリカでの話であって、日本ではそれほど話題になっていた記憶はない。ただ、某ミュージック・ライフ誌に掲載されていたビルボードのヒットチャートで、フリートウッド・マックという妙ちきりんな名前を見つけ、なんだこりゃ、なんて思っていたのは覚えている。その後、FM(フリートウッド・マックではなく、ラジオのことね。笑)で何曲か聴いて、結構気に入っていた。まだ、『噂』が出る前のことだ。
その頃、僕はフリートウッド・マックのメンバーなんて、全く知らなかった。「セイ・ユー・ラブ・ミー」とか「オーバー・マイ・ヘッド」といったヒット曲をFMでエアチェックして聴いてただけで、それ以上の興味はなかったし、雑誌でも彼らの写真を見た事はなかった。日本では、マックはそういう存在ではなかったのだ。初めて彼らの写真を見たのは、1977年『噂』が発売になった頃である。その写真を見た時、僕の目はその中の一人に釘付けとなった。言わずとしれた、スティービー・ニックスである(笑)
女性の年齢を書くのは失礼とは分かってるけど、スティービー・ニックスは1948年生まれという事だから、『噂』が出た頃は29歳だった訳だ。中2のガキにとって、29歳の女性なんて、想像もつかない大人であり、ヘタすりゃ年増というイメージだったのだが(失礼)、その写真のスティービーの、なんと可愛かったことか。他のメンバーもまだ若かったし、それなりにシブくカッコいい写真だったんだけど、でも、特にスティービーは可憐で美しかった。正に「妖精」である。それ以降、マック熱が上がったのも無理はあるまい(爆)
『ファンタスティック・マック』が一年かけて全米No.1になる、というロングセラーとなり、『噂』も発売直後から「オウン・ウェイ」のシングル・ヒットも手伝って快調に売れるに従い、フリートウッド・マックがメディアに登場する機会も多くなった。FMで耳にする機会も増えた。クラスの洋楽好きとの会話に於いても、フリートウッド・マックの名前が出るのは珍しい事ではなくなった。マックは完全に、日本でも認知されたのである。また、マック人気が高まるにつれ、FMのマック特集で『ファンタスティック・マック』以前の曲もかかったりするようになり、中学生もマックに関する正しい知識を身につけていったのだった(笑)
正に妖精の如く、可愛らしいスティービー・ニックスではあったが、その歌を聴いた時はびっくりした。見た目と声のギャップがあり過ぎたのだ(笑) 別に、嫌いとか馴染めないというのはなかったけど、意外だな、という感じは持っていた。「ドリームス」は確かに好きだったけど、それ以上に、当時は「オウン・ウェイ」や「ユー・メイク・ラビング・ファン」の方が好きだった。しかし、約2年後に出た「セーラ」を聴いた時、僕はスティービー・ニックスに一生を捧げることを誓ったのである(爆)。それくらい、「セーラ」は一世一代の名曲であった。
それ以降、最初に感じたスティービー・ニックスの見た目と声のギャップなんぞ、どこかへ行ってしまい(笑)、80年代に入ってからソロ活動を開始した事もあり、僕はマックとは別物として、スティービーを追いかけるようになったのである。1981年の『麗しのベラ・ドンナ』以降ソロ・アルバムは6枚、ファン以外の人からすると、どれも似たように聴こえるかもしれないが(笑)、とにかくスティービーなんだから悪かろうはずがなく、どれも素晴らしい。中でも、一番好きなのは『ワイルド・ハート』かな。
YouTubeでも見れるけど、この時期(80年代)のスティービーのライブもなかなかのもんである。黒系のヒラヒラした衣装に身を包み、四角いマイクで歌う姿は正に妖精! もうたまりません。一時期、日本の山根麻衣という歌手が、スティービーそっくりの衣装とマイクで歌っていて、雰囲気もなかなかいい線いってて、こちらも結構良かったなぁ(笑) 妖精とはいえ、スティービーは女性にも人気だったのである。そりゃ、憧れるよな。
実際、可憐な外見ではあったけど、スティービー自身は、結構自己主張の強い人と思う。その音楽にも窺えるし、インタビューを読んだりしても、なんとなく分かる。ただ可愛いだけではない、筋の通ったものがあるのだ。男は、そこに惚れる訳です(笑)
スティービー・ニックスは、ソングライターでもあり、「ドリームス」「セーラ」はもちろん、ソロでの「スタンド・バック」「レザー・アンド・レース」なども、彼女の自作である。メロディがどうこうというより、スティービーの個性の上に成り立っているような曲が多いが、妙に心惹かれてしまうのだ。あまり知られてないけど、「ペーパードール」や「ブルー・デニム」なんて曲も実に良いので、是非聴いてみて頂きたい(笑)
あ、もちろん、スティービーだけでなく、ちゃんとマックも聴いてましたよ(笑) 80年代のアルバムでは、なんといっても1987年の『タンゴ・イン・ザ・ナイト』でしょう。いや、80年代どころか、マックの最高傑作と言ってもいいのでは。けど、その後、リンジー・バッキンガムやスティービーが不在だった時期もあり、この頃は実は聴いてません^^; 再び聴き始めたのは、黄金期のメンバーが再集結した、1997年の『ダンス』からである。
という訳で、久々のスティービーの新作『The Soundstage Sessions』なんだけど、やはりよろしい(笑) 一曲目の「スタンド・バック」を聴いた時、声に往年の艶が失われ、高音も出なくなっている、と感じたけど、曲が進むにつれ、全くそんな気配はなくなり、変わらぬスティービー・ニックスの歌世界を堪能出来る。選曲も、マックのレパートリーを含め、偏りなく収められていてよろしい。しかし、変わらぬとはいえ、スティービーも還暦過ぎた訳だし、妖精ぶりは健在だけど、年齢的にも来日は難しいのだろうか、なんて思ってしまうのである。ちょっと悲しい。
ところで、フリートウッド・マックとフォリナーって、なんとなく共通するものがある。もちろん、音楽性は全く違うけど、似てる部分は多いのだ。つまり、
1.日本でも人気はあったけど、基本的にはアメリカで売れていたこと
2.日本では、FMではよくかかったけど、AMではそれほどではなかったこと
3.マニアックなファンが少ないこと
4.マックやフォリナーを聴いて、バンドやら楽器やらを始めた人というのがほとんどいないこと
なんと言いますか、どちらも昔は“中道路線”なんて言われてたけど、一種インパクトが弱い印象があるかも。マックやフォリナーを聴いて人生が変わった、みたいな話を聞かないのである(笑) でも、スティービー・ニックスに人生狂わされた、なんて人は多いと思う(笑)