日々の覚書

MFCオーナーのブログ

時が来たりて

2008年09月28日 18時03分20秒 | 映画

今回は、海の向こうの芸能ニュースをネタにしてみました^^

ポール・ニューマン死去
説明不要の名優、ポール・ニューマンが亡くなったそうな。享年83歳。癌だったらしい。4月のチャールトン・ヘストンに続き、古き良きアメリカ映画を象徴するスターが、また一人いなくなった。慎んでご冥福をお祈り致します。

と言いつつ、ポール・ニューマンの映画で印象に残ってるのは? と聞かれると、答えに窮したりする^^; ポール・ニューマンといえば、なんといっても『明日に向って撃て!』であり『スティング』なんであるが、実はこの2作とも、あまり好きではない^^; どちらも、僕が見た時には既に高い評価と人気を得ていた映画であるが、個人的には前評判ほどではなかった、というのが正直な感想。両方とも、ジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの共演、という共通項があり、その点でも大いに期待して見た訳だったのだが...

『明日に向って撃て!』は、説明の必要はないと思うが、1960年代から注目された“アメリカン・ニュー・シネマ”を代表する作品だ。が、これも含め、僕はどうも“アメリカン・ニュー・シネマ”と相性が悪いらしく、ここに分類される映画を、面白いと思った事がない。『俺たちに明日はない』しかり『イージー・ライダー』しかり。中学生にして、既にガチガチの保守派だったようだ(笑) ま、なんというか、それまでのハリウッド映画とは違う方法論で作られた映画、という事なんだろうけど、ストーリーがあるのかないのか、って感じで、僕にとっては分りづらかった。ヌーベル・バーグの諸作品についても、同様の印象を持っている。

『明日に向って撃て!』で印象に残っているのは、逃亡するポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが追い詰められ、何百メートルもの渓谷から川に飛び込まなければ逃げ切れない、という所で、レッドフォードが何故か躊躇している。で、ニューマンが問い質すと、レッド・フォードは一言、「オレは泳げないんだ!」 それを聞いたニューマンは大爆笑し、次の瞬間レッドフォードを抱きかかえて川へ身を投げる、というシーンである。いや、別に有名なシーンではないと思うけど(笑)

だけど、この映画の音楽は良かった。アカデミー賞を獲得した主題歌「雨にぬれても」は名曲だ。シングル盤持ってました(笑) 音楽担当はバート・バカラック。全編、西部劇らしからぬソフィスティケイトされた音楽に溢れていた。

『スティング』の方は、確かに面白いけど、なんというか、上手く行き過ぎ、みたいな感じで、のめり込めなかった記憶がある。ご承知のように、詐欺師の話だけど、その仕掛けがあまりにも大がかりで、却ってしらけたような^^; 一緒にしちゃいかんが、『ロンドン・ハーツ』での騙しっぷりと、一脈通じるものがあるような気がする(爆) ただ、この映画も音楽は良かったな。ジョージ・ロイ・ヒル監督って、こういう面ではいいセンスしてる、と思う。

ただ、映画自体はともかく、ポール・ニューマン自身は、凄く良かったと思う。他の映画を見ても、あの人なつこい笑顔がいいけど、反面その笑顔の裏に隠された異常性、みたいなのも表現できる人だったし、不良中年みたいな役を演じるのも見事だった。完全なワルではなく、あくまで不良ね(笑) 監督としても、才能ある人だったと思う。『我が緑の大地』なんて、マジ感動しましたです。

チャールトン・ヘストンのときにも感じたけど、やはり時代は変わっている。寂しいけど。

レッド・ツェッペリン再結成ツアー決定か?
去年の暮れ、一夜限りの再結成ライブを行なったレッド・ツェッペリンが、ついにツアーに出る事になったらしい。その再結成ライブが好評だった為、ツアーが検討されていたが、ロバート・プラントが乗り気でなかったので、代役のボーカリストを立ててツアーをする、というのも視野にあったらしい。で、そのロバート・プラントが承諾したので、再結成ツアーに出る事がほぼ決まり、現在計画中らしい。プラント曰く、「蚊帳の外に置かれたくなかった」 はい、その気持ち、非常によく分かります(笑)

ま、ツアーが企画されれば、日本公演も検討されるだろう。でも、見に行かないような気がする。チケット高くなりそうだし(爆) と、それはともかく、僕はレコードでしかツェッペリンを聴いた事がなく、そのレコードのサウンドを今ステージで再現出来るとは思えないので、それなら見ても仕方ないかな、なんて気になってしまうのだ。ずっと活動を続けていて、その間に彼らのライブも変わった、というのであれば別だが、20年ものブランクがあっての再結成ツアーである。いきなり、昔の曲をやろうったって、ちと無理でしょう。もちろん、全盛期とは違う音になるだろうけど、くどいようだが、活動を続けていて、そういった変化もファンはずっと見ている、というのであれば問題ないけど、いきなりではレコードとの落差がデカいだけ、という気がする。で、結局失望してしまうのではないか、なんて気がするのだ。

と、それより、この件に関しては気になる事がある。

再結成ツェッペリンのドラマーは、ご存知ジョン・ボーナムの息子ジェイソン・ボーナムである。再結成ツェッペリンでツアーに出るってことは....

 

 

 

 

フォリナーはどうなる?(爆)

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容疑者X

2008年09月21日 13時43分19秒 | 映画

東野圭吾の『容疑者Xの献身』は、彼の全作品中5指に入る傑作と言っても過言ではない。ま、この作品で東野圭吾は今さらながら(笑)の直木賞を受賞したが、そんなのは単なる付け足しに過ぎない程の名作である。と、僕は思う。

その『容疑者Xの献身』が映画化される。去年、『探偵ガリレオ』がテレビドラマ化されたが、その映画版という感じらしい。キャストもほぼ同じようだ。という事は、テレビドラマで主役を務めた福山雅治がメインの内容になるのだろう。ちょっと違うような気もするが、まぁいいでしょう(笑)

近頃は、映画の公開前に、専用サイトをオープンするのが当たり前になっているようで、『容疑者Xの献身』も、専用サイトがある。これを見る限りでは、原作の内容に忠実なようだ。つーか、『容疑者Xの献身』は東野圭吾ならではの、緻密な構成と秀逸なトリックが肝のミステリーであるので、映画化するにあたって、原作にはないエピソードや登場人物を加える訳にはいかないわな(笑)。テレビの方は見てないので、原作にはない柴咲コウの役どころがどんなものなのか、やや気にはなるが。

ストーリーは、おそらく皆さんだいたいはご存知だろう。天才数学者だが高校教師をしている男が、アパートの隣人母娘の犯罪を隠蔽すべく知恵を絞る話だ。恐るべき頭脳を持つ男が生み出した完全犯罪を崩す事が出来るのか、というミステリー的側面と、何故この天才数学者は、危険を冒してまで隣人母娘を救おうとするのか、という一種の人間ドラマが交錯する、極上のストーリー展開である。正に東野圭吾の面目躍如。この天才数学者を演じるのが堤真一、という事で、原作のイメージからするとカッコ良すぎる気がしないでもないが(笑)、実力はある人と思うし、どんな芝居をするか、楽しみでもある。

東野作品って、これまでにもいくつか映画化されている。『秘密』『ゲームという名の誘拐(映画名:G@ME)』『レイクサイド(映画名:レイクサイド・マーダーケース)』『手紙』など。『白夜行』『時生』はテレビドラマになったし、秋から『流星の絆』もドラマになるらしい。なんというか、僕のような素人が言うのも何だが、東野作品って、映像化しやすいような気がする。読んでいても、風景が浮かんでくるし、登場人物も混乱しないように書かれていて、人間関係とか把握しやすいし、構成もきっちりしていて、現在と過去の書き分けもはっきりしている。まるで台本のようでもあるので、小説を冒頭からそのまま映像にしていけば、映画として完成するんじゃないか、とすら思える。僕ですら、映像のイメージが浮かぶくらいだから、専門家からすれば、これほどやりやすい素材はなかろう。但し、映像を作る側の勝手な思いこみを許さないような部分があるような気もするが。

ちなみに、東野圭吾自身は、「小説と映像作品は全く別のものであるので、映像化の際自分は一切注文をつけない」という主義だそうな。ただ、あまりにも科学的にあり得ないエピソードを付け加えられるのは困るそうだが(笑)。彼は、かなり理詰めで小説を書くタイプだそうだが、映像作家の中にはひらめきで作る人も多くいて、その辺で意見が異なるケースも多いらしいのだが、後で考えてみると、映像として見る場合には、専門家のアイデアの方が面白い、と思える事も多く、そこでまた迷いが生じたりもするらしい(笑) だから、基本的にお任せにしてるのだろう。

個人的には、他の東野作品では、『天空の蜂』あたり映画化して貰いたいな。遠隔操作で乗っ取られた超大型ヘリを巡る攻防を描いた作品だ。飛行中のヘリから子供を救い出すシーンなんて、読んでいても手に汗握るくらいだから、映像になったら凄い迫力だろう。サスペンス&スペクタクル巨編として、いい線いくんじゃなかろうか。

あと、ミステリーとしては異色の『どちらかが彼女を殺した』とか『私が彼を殺した』といった所も、映像化すると面白いのではないかな。この2作品共、犯人が明かされず、読者が推理する、という内容になっている。小説と同じくラストは、「犯人はあなたです」と刑事が指さした所で終わり、なんてどうでしょう?(笑) 映画にするなら、懸賞金付き犯人当てクイズなんてキャンペーンも出来そうで、話題性十分と思うけどね(笑)

という訳で、『容疑者Xの献身』10月4日より公開である。見たい...

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チャールトン・ヘストンを悼む

2008年04月07日 00時14分22秒 | 映画

アメリカの映画俳優、チャールトン・ヘストンが亡くなったそうな。享年84歳。記事によると、死因は不明だが、2002年にアルツハイマーの可能性がある事を告白していたらしい。慎んでご冥福をお祈り致します。

知ってる人は知ってるけど、僕は小学校5年か6年の頃、映画に興味を持ち始め、週末のテレビ洋画劇場を毎週のように見ていた。もちろん、映画の事なんか知らないから、放送されるのを何でもかんでも見ていたのである。で、その当時の好きな俳優がスティーブ・マックイーンとチャールトン・ヘストンだった。

チャールトン・ヘストンといえば、なんといっても『ベン・ハー』だろう。6年半の歳月と54億円という巨費を投じて制作されたこの映画は1959年に公開されて大ヒットし、アカデミー賞でも11部門を制覇した。この記録は未だに破られていないそうな。

昔のハリウッドでは、このような、古代ローマを舞台にしたスペクタクル巨編、というのがたくさん制作されていた。その中でも『ベン・ハー』は代表的な作品であり、チャールトン・ヘストンはこれ以外にも、『十戒』『エル・シド』といった映画にも出演し、高い評価を得ていた。いわば、この手の映画には欠かせない俳優だったのだ。彫りの深い顔立ち(外人だから、当たり前と言えば当たり前だけど^^;)、筋骨隆々の肉体、堂々たる立ち姿...そんな彼が、古代の衣装を身に纏うと、神々しいくらいであった。あまり、上品な感じはしなかったけどね^^;

こういった、歴史スペクタクルみたいな映画は、衣装といいセットといい、見てる分には楽しいのだけど、テーマは案外と深くて(必ずと言っていいほど、宗教が絡んでくるし)、小学生には難しいものが多かった。ただ、チャールトン・ヘストンが出てると、少し分かりやすくなったような気がして(笑)、最後まで見ていたものだ。『ベン・ハー』はともかく、『十戒』は今でも好きな映画である。

僕が小学校高学年の頃というと、70年代半ば頃になるのだが、チャールトン・ヘストンは相変わらず大スターで、歴史スペクタクル物があまり作られなくなっても、毎年主演作が公開されていたように思う。印象的なのは、当時流行りだったパニック映画にも出ていた事で、同じ年に公開された『大地震』と『エアポート’75』は、共に大きな話題となり、映画自体も面白かった。どちらの映画でも、ヘストンは体を張った演技を見せて(アクションをした、というのではない)存在感をアピールし、確実に映画の印象度を高めていた。

ま、今にして思うと、決して演技派ではなく、その姿をスクリーンで楽しむタイプの俳優だったように思う。全てのチャールトン・ヘストン主演作を見た訳ではないので、なんとも言えないが^^; 要するに、チャールトン・ヘストンが出てればOKみたいな。実際、僕もそうだったし。金をかけた大作というのが、実に似合う人だった。ジョン・ウェインみたいな感じかな。時代が違うけど、シュワルツネッガーも同タイプのような気がする。でも、ヘストンは、あまりコミカルな役をやったという印象はない。

ハリウッドが絢爛豪華で華麗な娯楽映画を、大金はたいて制作していた時代を象徴するスターだったような気がする。今のハリウッドでは、存在感だけではスターにはなれないだろう。最近まで、俳優としての活動は続けていたらしいが、なんか昔の人というイメージになってしまった。

余談ながら、ヘストンは、二度や三度の離婚が当たり前のハリウッドにおいて、一度も離婚したことのないスターとして知られる。なんというか、ちょっと意外だった(笑) 見た目は華やかだけど、実は堅実だったのかな^^

とにかく、時代は確実に変わっている。かつての大スターの訃報を聞くと、そういう思いを強くする。

なんだか久々に『十戒』が見たくなった。

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Go on, now, go, walk out the door

2006年08月20日 13時50分16秒 | 映画

随分前だが、ウィル・スミス主演の『メン・イン・ブラックⅡ』という映画を見た。ご覧になった人もいると思うが、簡単に言うと、エイリアンが地球生命体と共存しているという設定で、そのエイリアンたちを監視する特殊警察の話だ。そのエイリアンたちは、地球上の動物や植物に寄生して生きており、いきなり犬や猫が喋ったり変身したりする訳である。

その映画で、僕が一番印象に残っているのは、エイリアンが寄生した犬(小さいブルドッグだったと思う)が、ウィル・スミスの運転する車の助手席で、鼻歌を歌う場面である。その鼻歌が「恋のサバイバル」だったのだ。知る人ぞ知る、グロリア・ゲイナーの1979年の全米No.1ヒットである。当時のディスコブームに乗って大ヒットとなった訳だが、日本でも布施明がカバーしていた。布施版の歌い出しは「♪待ち続けていることに、疲れ果てた訳じゃないのよ」だったと記憶している(笑)

ま、ストーリーもろくに思い出せない程、この場面の印象は強烈だったという訳だ(笑)

もちろん、映画を見ていてすぐ分かったのではなく、聴いた事ある曲だ何だっけ??、とあれこれと記憶を辿って思い出したのである。映画の中では、丁度サビに差しかかる時に、ウィル・スミスが「うるさい!」と、鼻歌を止めさせてしまうので、肝心の部分が聴けなかった。なので、思い出すのにやや時間がかかったのだ(笑)

ここで気になったのは、何故この犬が「恋のサバイバル」を歌ったのか、ということ。もちろん、物語の展開とは全く関係なかった(はず)。この映画に限らず、登場人物が鼻歌を歌う場面って結構多いが、そこで歌われる歌は、どのような基準で選ばれているのか? ストーリーや映画のテーマと関わりのある歌の場合もあるが、関係ない時もある。関係ない場合は、監督や脚本家または俳優が適当に決めるのか? それとも、そこはかとなく登場人物の人となりを示唆するような歌を選ぶのか? たかが鼻歌ひとつでも、このように考えてみると、非常に興味深いものがある(爆)

でも、僕にとって最も印象に残っているのは、とある女性にこの話をしたら、「鼻歌って知ってる曲だったの?」と聞かれ、「うん」と答えたら、思いっきり呆れた顔をされた事かもしれない(爆)

コメント (8)
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