イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

積ん読のソムリエ

2009年05月31日 23時43分12秒 | Weblog
「ブックディレクター」、「本のソムリエ」なる肩書きで活躍されている幅允孝さんのことは、なんどか雑誌などで目にしたことがあった。今日たまたまというかいつものようにYoutubeを彷徨っていたら『情熱大陸』で彼を紹介した回の映像を見ることができた。本好きの僕としては、とても面白かった。ホテルや病院、デパートなど、様々なところから依頼され、そこに書斎めいた空間を作り上げるのが彼の主な仕事だ。彼はアートの素養もあるのこと。だから、あんな風に綺麗に本を並べられるのだろう。まさに魅惑の空間。彼自身も相当の読書家で、基本的には自分が読んだ本しか使わないのだという。彼が成功した理由のひとつは間違いなくそこにあるだろう(ところで、同じく本並べのプロとしては、『本屋はサイコー!』の著作もある安藤哲也さんも有名だ。書店での本の見せ方次第で売上が大きく変化することを、この安藤さんの本を通じてよく理解できた。それ以来、書店で棚を眺めるときに書店側がどういう意図で棚を作っているのかを少しは考えるようになった)。

たまに家具売り場などにいくと、ソファやデスクなどのコーナーに、妙におしゃれな外国語の本がさりげなく置いてあったりする。生活感がまったく感じられないけど、それでもやっぱり本好きとしてはそそられるものがある。ただし、いかんせんそういうおしゃれ空間にレイアウトされているのはせいぜい数冊なので、本に埋もれるようにして暮らすことが理想の自分としては、物足りなさを感じてしまう。そこではあくまで本は脇役にすぎないのだ。まあ、家具売り場にブックオフで買ってきた本が大量に格納されているリビングの見本があるわけはないんですけどね。でもやっぱり家具よりも本の方に気を取られて、ついつい手にとってページをめくってしまう。

酒場とか喫茶店とか旅館とかには、店の主や客とかが読んでいる本、あるいは置いていった本などがさりげなく配置されているところがある。で、そこになかなか渋い本があったりすると、嬉しくなる。全共闘世代のマスターが、かつて読みふけった本、みたいな感じだ。堅めの本から、柔らかめの本まで実に様々。こういう場合も、かなりの確率で本を手にとってパラパラしてしまう。ソムリエに選ばれた「隙のないセレクション」というわけじゃないけど、自然発生的に集まってきた本というのはその場に集う人たちのことをよく現していて、興味深いし、味がある。自分の本棚を見られたら恥ずかしいのであんまり好きな言葉ではないのですが、本棚は人を現すといいますからね。

日本でおそらく唯一の「ブックディレクター」である幅さんは「自分の仕事は自分で作る」みたいなことを言っていたのだけど、そこにも共感できた。翻訳者も、自分の仕事は自分で作るという精神がとても大事だと、最近は強く思っているのだ。幅さんは「ありえないところに本があるのが面白い」と言う。書斎はどこにでも出現させることができる。薬局になぜかマルクスの『資本論』があってもいい。ラーメン屋にとつぜん『ファーブル昆虫記』があってもいい。ジーンズショップにおもむろに『週刊プロレス』のバックナンバーが全巻そろっておかれていてもいい。そういうお店があったら、僕ならひいきにするだろう。

本、特に古本は、置き方ひとつでものすごく魅力的にもなるし、これ以上ないくらい哀しい存在にもなる。本を楽しむためには、自宅でも本がよりいっそう愛おしくなるような置き方をしてあげなければいけないのかなあと思った。なにせ、ここには積ん読が数千冊。放っておくと、棚はすぐに死んでしまう。できることなら幅さんに依頼して、素敵に本を並べてもらいたいくらいである。魅力的な積ん読の空間を演出し、本を手に取りたいと自分に思わせなければ。よ~し決めた、こうなったら職業替えして、日本初の『積ん読のソムリエ』になるぞ~!(なんて)

情熱大陸のサイト『幅允孝』

Youtubeで見つけた同番組の動画