イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

jibun ni dame dashi

2009年05月14日 23時42分42秒 | Weblog

仕事をする上で、あるいは一人の人間として、「自分には何が足りないのか」ということをよく考える。僕の場合は足りているものの方が少ない(というか、皆無?)なので、足りないものを数え出したらきりがない。だけど、やっぱり考える。そしてそれを克服したいと考える。

だけど、自分に本当に足りないものっていうのは、なかなか見えるようで見えないものだ。自分には見えないからこそ、それをとらえるのが難しく、意識できない。あるいは、見ようとしたくないという心理が働いているのかもしれない。だからこそ、簡単には克服できない、根深い弱点になっているはずなのだ。いわば、それが僕の限界であり、僕の閾なのだ。

人からだめ出しをくらったら、ものすごく心に響く。下手したら一生、心に刻まれる。二度と同じことを言われたくないから、以後の生活でそれを直そうと努める。だめ出しされるのはあんまりうれしいことじゃないけど、そういう意味ではありがたい。だけど、24時間誰かが僕の生活を監視して、だめを出し続けてくれるわけじゃない。だから、自分で自分にだめ出しできるようにならないくてはいけない。

自分を直視し、だめを出す。二度と同じだめを出されないようにするためには、行動によって自らを変えていくしかない。それはものすごく難しいことでもある。だけど、だめな自分も恥ずかしいけど、だめな自分が見えてないことは、たぶんもっと恥ずかしい。弱点という問いを発見できさえすれば、その克服という答えを導くことは、そんなに難しくはないはずなのだ。自分の閾値を超えて、すべてを見通すことは難しい。だけど、見える範囲で自分をしっかりと見つめることは、きっとできるはずだ。

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