イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

Without Fear or Favor

2009年01月24日 20時43分42秒 | Weblog
Japan Times の一面のヘッダーの部分には、"All the New Without Fear or Favor"というスローガンが記されている。「どの国、どの利益集団、どの社会階層に対しても、恐れることなく、またへつらいもしないということで、編集関係者全員が、これを金科玉条として、毎日の仕事にあたっています」と同紙の方がコメントされている。

Without Fear or Favor――恐れることなく、へつらいもしない。毎朝、この言葉を目にするたびに、翻訳も同じだと思う。原文から離れることを恐れすぎると、ワードバイワードな堅苦しい訳になってしまう。だから、離れることをいらずらに恐れすぎてはいけない。勇気をもって、原文が意味するところを適切な日本語で表現する。しかし、そこに恣意的な判断が入ってはいけない。訳文に紛れこんだ勝手な解釈は、作者、読者、そして訳者自身に対する裏切りになるのだ。とはいえ、一個人としての僕の心は、Fear と Favor で満ち溢れている。でもだからこそ、訳文にそれが現れないように気をつけなくてはいけないのだ。さらにいえば、「文は人なり」であるわけだから、問題を根本から改善するためには、日常生活においても、Fear と Favorを削っていく努力が必要なのだ。

訳しすぎだと言われるのは怖い。だけど、なんのひねりもない、意味の通じない訳を創るのも嫌だ。翻訳をする人はいつも、この振り子に揺られながら悩んでいるのではないだろうか。

上手いといわれる訳文は、この葛藤を見事に乗り越え、孔子のいうところの、「心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」を体現するかのような過不足のなさを感じさせてくれる。言葉が自由に躍動しているのを感じるのと同時に、踏み越えてはいけない境界線をけっしてはみ出していない――そんな訳だ。

僕もいつか、そんな境地に達することができるのだろうか。孔子曰く、それは「70にして」到達するものだということなのだけど、はたして70才まで翻訳を続けていられるのか。70才になっても、このブログに相変わらずくだらないことを書きつらねているのか(想像するとちょっと怖い)。

先のことはわからない。ともかく、恐れず、へつらわず、翻訳にとりくもう。