アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「神様とつき合う3原則」の3回目です。

まずは、3原則のおさらいから。

第1原則 神様は、人の願ったとおりのことを実現してくれるとは限らない。

第2原則 神様は、その人のために神様にとって必要なことを実現してくれる。

第3原則 神様とのコミュニケーションの習慣を持ち、しかも実現したかのように願ったとき、神様は、願いを聴き届けてくださる。

今日のテーマは、第3原則。

第3原則は、第1原則、第2原則を前提にして初めて成り立つものです。

第3原則は、「神様が願いを聴き届けてくれる」というありがたい話です。ただし、2つの条件があります。
1つは、日頃から神様とのコミュニケーションの習慣を持っていること、2つ目は、すでに実現したかのように願うこと、です。

1つ目の「日頃から神様とのコミュニケーションの習慣を持っていること」というのは、どういうことでしょうか?
これは、すでに3月16日のブログ「神社・仏閣での正しい祈り方」で私なりの神社・仏閣での祈り方として述べているのです。ポイントは、次の3つです。

1.神社・仏閣を感謝の場としよう。

2.祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こう。

3.祈った分だけ瞑想をして神仏のメッセージを聴き取るよう心がけよう。

私は、「神様・仏様」と呼んでいますが、このことで特定の信仰を強要しているわけであはありません。しかし、信仰があれば、それに越したことはありません。
いずれにしろ人間を超えた、より大きな存在を想定しています。

中村天風は、人間を超えた、より大きな存在を「ブリル」と言っています。村上和雄先生流に「サムシング・グレイト」でも、あるいは「大自然」でもいいのです。

習性として備えてほしいのは、次の2点。
第1点は、
「感謝のこころ」です。
第2点は、「自分に起きることのメッセージを謙虚に聴き取ること」、別の言い方をすると「瞑想的な生活をすること」です。毎日1時間瞑想をしなさい、と言っているわけではありません。
「瞑想的な生活をすること」とは、自分自身と自分の周囲を見つめながら生活すること、セルフ・モニタリング・システムを働かせながら生きることです。

瞑想的な生活をしていると、自分の健康問題、自分の直面する出来事などに関して早い段階で「早期発見・早期着手」ができて、大事に至る前に手を打つことができます。
「早期発見・早期着手」ができていないと、神様は、「いい加減に気づきなさい」とより大きな警告を発します。
自分に起きることは、すべて神様のメッセージだと自覚すべきでしょう。

今日は、条件の1つ目だけにして、次回2つ目の「すでに実現したかのように願うこと」に言及します。




コメント ( 7 ) | Trackback ( )



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コメント
 
 
 
今日もタメになります (ルルル)
2008-03-20 10:37:56
ここのところ、無料通信教育を受けさせて頂いてる気分です。自分が何を理解し何を理解しておらず、何ができていて何ができていないのかがはっきりわかり、ありがたいです。
私は、村上氏の「サムシング・グレイト」というとらえ方が一番好きです。宗教に抵抗を持つ方にも、受け入れられやすい言葉ではないでしょうか。
 
 
 
はじめまして (こんにちは)
2008-03-20 11:11:12
大分に住んでいます首藤です。
岩井先生の勧めていた「人を伸ばす力」を
一か月前に読みかなり感激しました。
今は「あなたがリーダーに生まれ変わるとき」を読んでいます。

神頼みと祈念の違いは、その通りだなと思います。
「祈念は、内なる自己に真摯に語りかけることである」ということばにピンときました。
ところで、
>祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こう。
というのは、どういう意味でしょうか?
もう少し詳しく説明してもらえると助かります
 
 
 
祈らざるを得なかったとしたら・・・ (岩井俊憲)
2008-03-20 23:11:29
ルルル様、首藤様

コメントありがとうございました。

首藤さんの「祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こうというのは、どういう意味でしょうか?」というご質問に回答します。

前提は、「神仏は、原則として、感謝する対象でなく感謝する対象だ」というところにあります。しかし、どうしても祈らざるを得なかったとき、神仏は、力を貸してくれます。そんな時、「結果は・・・・になりました」と後日報告に行ってほしい、というところにあります。

人間でも頼みっぱなしで報告しないと、「一体どうなってるんだ?」と尋ねたくなりますよね。
それと同じです。
神様は、基本的に世話好き、「お人よし」(「お神良し」と言うべきか)なのです。
 
 
 
場違いでしたらすみません。 (カリス魔保育士)
2008-03-21 01:57:59
神社・仏閣とは違いますが、ちょっとカキコしたくなったのでさせてください。
私はそういう話題に疎いのですが、祖父(祖母は健在)の墓参りに季節毎に年4度ひとりもしくは家族で行くことにしてます。ひとりのほうが多いです。希望は月1なのですがなかなか都合が取れません。
一度も会った事の無い祖父ですが、理由は簡単、今の自分があるのはそのおじいちゃんがいてくれたからです。

墓石(からだ)を綺麗な布巾でふき、白菊と線香を添えて手を合わせます。
いつも衣食住を満たせるのはあなたのおかげだという感謝と、ブログではありませんが子孫の最近の様子を伝えて、敬礼してさっと帰路に向かいます。
帰路では心が森林浴をしたような気分になります。

理由はわかりませんが、代表のブログを拝見してカキコしたくなった次第です。
 
 
 
場違いではありませんよ。 (岩井俊憲)
2008-03-21 07:21:59
カリス魔保育士様

ヒューマン・ギルドの掲示板共々書き込みありがとうございました。

「感情のコントロール法」でカリス魔保育士さんの発言をお聴きして、怒りの感情が極めて少ないこと、平素の行動を拝見して、最近の若者には見られにくい礼節に満ちた態度であること、この2つの謎が解けました。
ご祖父さまのお墓参りをしっかりとなさっているのですね。

こんなお姿を神様がご覧になると-もちろん人間も-、カリス魔保育士さんに協力したくなります。

カリス魔保育士さんは、人望も神望も備えた方です。
 
 
 
書き間違い (岩井俊憲)
2008-03-21 07:26:28
首藤様

初コメントに対する回答に記述ミスがありました。

「神仏は、原則として、感謝する対象でなく感謝する対象だ」と書いてしまいました。

前半の感謝は「お願い」でした。

正しくは、「神仏は、原則として、お願いする対象でなく感謝する対象だ」です。

すみませんでした。

追伸:難解な『人を動かす力』をよくぞ読了されましたね。感心しております。
 
 
 
ありがとうございました (しゅとう)
2008-03-21 20:10:01
岩井先生、回答ありがとうございました。
>神仏は、原則として、お願いする対象でなく感謝する対象だ
納得しました。ありがとうございます。
この考えからすると、世間の常識は間違っているということになりますね。

感謝のこころについては、
僕は岡野先生のコスモロジーを学んでから
自分の存在に対する認識、自分は存在するだけで
奇跡なんだなと感じるようになりました。
悠久の昔から続くたくさんのご先祖様の命、生き物、大いなるものによって
生かされているという当たり前のことに気づかされました。
でも忘れてしまうんですね、人間は簡単に。
なので、毎日お茶をあげて、保育士さんの言うように
お墓参りをして思い出すんですね。

>感謝する
何かお世話を受けたら、報告、ありがとうと言う
ことをちゃんと意識し始めたのは、恥ずかしながら最近のことです。
嫁さんから教わりました。
これからも勇気の伝道師のブログに大いに期待しています
 
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