コメント
今日もタメになります
(
ルルル
)
2008-03-20 10:37:56
ここのところ、無料通信教育を受けさせて頂いてる気分です。自分が何を理解し何を理解しておらず、何ができていて何ができていないのかがはっきりわかり、ありがたいです。
私は、村上氏の「サムシング・グレイト」というとらえ方が一番好きです。宗教に抵抗を持つ方にも、受け入れられやすい言葉ではないでしょうか。
はじめまして
(
こんにちは
)
2008-03-20 11:11:12
大分に住んでいます首藤です。
岩井先生の勧めていた「人を伸ばす力」を
一か月前に読みかなり感激しました。
今は「あなたがリーダーに生まれ変わるとき」を読んでいます。
神頼みと祈念の違いは、その通りだなと思います。
「祈念は、内なる自己に真摯に語りかけることである」ということばにピンときました。
ところで、
>祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こう。
というのは、どういう意味でしょうか?
もう少し詳しく説明してもらえると助かります
祈らざるを得なかったとしたら・・・
(
岩井俊憲
)
2008-03-20 23:11:29
ルルル様、首藤様
コメントありがとうございました。
首藤さんの「祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こうというのは、どういう意味でしょうか?」というご質問に回答します。
前提は、「神仏は、原則として、感謝する対象でなく感謝する対象だ」というところにあります。しかし、どうしても祈らざるを得なかったとき、神仏は、力を貸してくれます。そんな時、「結果は・・・・になりました」と後日報告に行ってほしい、というところにあります。
人間でも頼みっぱなしで報告しないと、「一体どうなってるんだ?」と尋ねたくなりますよね。
それと同じです。
神様は、基本的に世話好き、「お人よし」(「お神良し」と言うべきか)なのです。
場違いでしたらすみません。
(
カリス魔保育士
)
2008-03-21 01:57:59
神社・仏閣とは違いますが、ちょっとカキコしたくなったのでさせてください。
私はそういう話題に疎いのですが、祖父(祖母は健在)の墓参りに季節毎に年4度ひとりもしくは家族で行くことにしてます。ひとりのほうが多いです。希望は月1なのですがなかなか都合が取れません。
一度も会った事の無い祖父ですが、理由は簡単、今の自分があるのはそのおじいちゃんがいてくれたからです。
墓石(からだ)を綺麗な布巾でふき、白菊と線香を添えて手を合わせます。
いつも衣食住を満たせるのはあなたのおかげだという感謝と、ブログではありませんが子孫の最近の様子を伝えて、敬礼してさっと帰路に向かいます。
帰路では心が森林浴をしたような気分になります。
理由はわかりませんが、代表のブログを拝見してカキコしたくなった次第です。
場違いではありませんよ。
(
岩井俊憲
)
2008-03-21 07:21:59
カリス魔保育士様
ヒューマン・ギルドの掲示板共々書き込みありがとうございました。
「感情のコントロール法」でカリス魔保育士さんの発言をお聴きして、怒りの感情が極めて少ないこと、平素の行動を拝見して、最近の若者には見られにくい礼節に満ちた態度であること、この2つの謎が解けました。
ご祖父さまのお墓参りをしっかりとなさっているのですね。
こんなお姿を神様がご覧になると-もちろん人間も-、カリス魔保育士さんに協力したくなります。
カリス魔保育士さんは、人望も神望も備えた方です。
書き間違い
(
岩井俊憲
)
2008-03-21 07:26:28
首藤様
初コメントに対する回答に記述ミスがありました。
「神仏は、原則として、感謝する対象でなく感謝する対象だ」と書いてしまいました。
前半の感謝は「お願い」でした。
正しくは、「神仏は、原則として、お願いする対象でなく感謝する対象だ」です。
すみませんでした。
追伸:難解な『人を動かす力』をよくぞ読了されましたね。感心しております。
ありがとうございました
(
しゅとう
)
2008-03-21 20:10:01
岩井先生、回答ありがとうございました。
>神仏は、原則として、お願いする対象でなく感謝する対象だ
納得しました。ありがとうございます。
この考えからすると、世間の常識は間違っているということになりますね。
感謝のこころについては、
僕は岡野先生のコスモロジーを学んでから
自分の存在に対する認識、自分は存在するだけで
奇跡なんだなと感じるようになりました。
悠久の昔から続くたくさんのご先祖様の命、生き物、大いなるものによって
生かされているという当たり前のことに気づかされました。
でも忘れてしまうんですね、人間は簡単に。
なので、毎日お茶をあげて、保育士さんの言うように
お墓参りをして思い出すんですね。
>感謝する
何かお世話を受けたら、報告、ありがとうと言う
ことをちゃんと意識し始めたのは、恥ずかしながら最近のことです。
嫁さんから教わりました。
これからも勇気の伝道師のブログに大いに期待しています
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私は、村上氏の「サムシング・グレイト」というとらえ方が一番好きです。宗教に抵抗を持つ方にも、受け入れられやすい言葉ではないでしょうか。
岩井先生の勧めていた「人を伸ばす力」を
一か月前に読みかなり感激しました。
今は「あなたがリーダーに生まれ変わるとき」を読んでいます。
神頼みと祈念の違いは、その通りだなと思います。
「祈念は、内なる自己に真摯に語りかけることである」ということばにピンときました。
ところで、
>祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こう。
というのは、どういう意味でしょうか?
もう少し詳しく説明してもらえると助かります
コメントありがとうございました。
首藤さんの「祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こうというのは、どういう意味でしょうか?」というご質問に回答します。
前提は、「神仏は、原則として、感謝する対象でなく感謝する対象だ」というところにあります。しかし、どうしても祈らざるを得なかったとき、神仏は、力を貸してくれます。そんな時、「結果は・・・・になりました」と後日報告に行ってほしい、というところにあります。
人間でも頼みっぱなしで報告しないと、「一体どうなってるんだ?」と尋ねたくなりますよね。
それと同じです。
神様は、基本的に世話好き、「お人よし」(「お神良し」と言うべきか)なのです。
私はそういう話題に疎いのですが、祖父(祖母は健在)の墓参りに季節毎に年4度ひとりもしくは家族で行くことにしてます。ひとりのほうが多いです。希望は月1なのですがなかなか都合が取れません。
一度も会った事の無い祖父ですが、理由は簡単、今の自分があるのはそのおじいちゃんがいてくれたからです。
墓石(からだ)を綺麗な布巾でふき、白菊と線香を添えて手を合わせます。
いつも衣食住を満たせるのはあなたのおかげだという感謝と、ブログではありませんが子孫の最近の様子を伝えて、敬礼してさっと帰路に向かいます。
帰路では心が森林浴をしたような気分になります。
理由はわかりませんが、代表のブログを拝見してカキコしたくなった次第です。
ヒューマン・ギルドの掲示板共々書き込みありがとうございました。
「感情のコントロール法」でカリス魔保育士さんの発言をお聴きして、怒りの感情が極めて少ないこと、平素の行動を拝見して、最近の若者には見られにくい礼節に満ちた態度であること、この2つの謎が解けました。
ご祖父さまのお墓参りをしっかりとなさっているのですね。
こんなお姿を神様がご覧になると-もちろん人間も-、カリス魔保育士さんに協力したくなります。
カリス魔保育士さんは、人望も神望も備えた方です。
初コメントに対する回答に記述ミスがありました。
「神仏は、原則として、感謝する対象でなく感謝する対象だ」と書いてしまいました。
前半の感謝は「お願い」でした。
正しくは、「神仏は、原則として、お願いする対象でなく感謝する対象だ」です。
すみませんでした。
追伸:難解な『人を動かす力』をよくぞ読了されましたね。感心しております。
>神仏は、原則として、お願いする対象でなく感謝する対象だ
納得しました。ありがとうございます。
この考えからすると、世間の常識は間違っているということになりますね。
感謝のこころについては、
僕は岡野先生のコスモロジーを学んでから
自分の存在に対する認識、自分は存在するだけで
奇跡なんだなと感じるようになりました。
悠久の昔から続くたくさんのご先祖様の命、生き物、大いなるものによって
生かされているという当たり前のことに気づかされました。
でも忘れてしまうんですね、人間は簡単に。
なので、毎日お茶をあげて、保育士さんの言うように
お墓参りをして思い出すんですね。
>感謝する
何かお世話を受けたら、報告、ありがとうと言う
ことをちゃんと意識し始めたのは、恥ずかしながら最近のことです。
嫁さんから教わりました。
これからも勇気の伝道師のブログに大いに期待しています