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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日は、久しぶりにブログをお休みしました。
義兄(姉の夫、83歳)通夜に一昨日、告別式に昨日と妻と共に出向いていました。
集う人は、義兄側と姉側の親戚の十数人しかいなくて、そのためにかえって親密なやり取りができました。

「弔問外交(ちょうもんがいこう)」という言葉があります。
元首や政府要人などの死去に伴う葬儀において、各国の政府要人らが会葬する機会を利用して展開する外交のことを意味しますが、親族にとっては、冠婚葬祭の場で共同体のメンバーにとって絆を確認するだけでなく、別の共同体の一員とかかわりを持つことができる格好の場とも言えます。

通夜の席では、兄、義姉、甥、従妹とご一緒しました。
告別式の席では、遺族の家族に加えて親戚の方とも言葉を交わすことができ、さらには、この日だけ参列の姪(兄の娘)とも親しくできました。

昨日の告別式には、喪主を務めた甥から私に特別なミッションが与えられていました。
それは【弔辞】でした。
私は昨朝、4:00に目が覚めてWordに弔辞のエッセンスを書いて臨みました。
義兄は、気難しい面もあるがユーモアを解する人でもあることを語ろうとして用意していたエピソードを冒頭に置いていたのです。
そこから始めると、6ー7分になります。
海老名に向かう小田急線の中でも隣に座る妻にも内容を知らせることなく、声を出さずに練習していました。

いざ本番。
遺族と会場の雰囲気からして6ー7分は長いので、3分ほどに圧縮することにして、ユーモアを解する人の部分をカットしました。

故人を荼毘にふして葬祭場に戻り、繰り上げの初七日の法要を終えて、私たち夫婦は姪の運転の車で相模大野駅まで送ってもらう途上でカット部分を吐露しました。

その内容はこうです。

1975年(昭和50年)秋に神谷町の「農林年金会館」(現・虎ノ門パストラル)で結婚披露宴の際、私は岩井家を代表して余興の役割を担ったのです。
生まれて半年ほどの娘を抱っこして「逃げた女房に未練はないが、お乳ほしがるこの子がかわい・・・」と歌い、そうならないように戒めのスピーチをしたのであります。
新郎は「面白かった」と寛容に受け止めてくれ、縁起が悪いという人は皆無、会場は大盛り上がりでした。

さて、時の新郎新婦は、その後50年ほど仲良く暮らし、歌った私は、8年後にその時の女房に逃げられました。

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