おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
悲しい話をしなければなりません。
僕が弟のように可愛がっていた梅さん(田邉(梅谷)裕章さん)が9月11日(月)の朝にこの世を去ったのです(享年59歳)。
食道がんで入退院を繰り返していたのは知っていたのだが、梅さんのフェイスブック のつい最近の記事を読んでも、まさかこんなに急にこの世を去るとは思ってもいなかった。
9月9日 2:41 発信のフェイスブックでは、
いつ大出血して即死してもおかしくないというのは私の弱気ではなく、主治医担当医、家内と私の共通で持っている理解です。
(途中略)
つまり自分の在り方、実存的転換と個人の信仰で魂の問題までカバーする「死への備え、死の受容」と、実務的な「死への準備、取り決め」は当然の事なのです。
(途中略)
私はアドラーが拡げたあの共同体感覚に近づく事を切望しています、と言う発信だけは死ぬまで続けるよ。
と書いていたではないですか。
その2日後だとは。
梅さんが初めてカウンセリングにやって来たのは、10年ちょっと前でしたね。
キリスト教の牧師に不信感を持っていて、同居するお父様とは数10年も言葉を交わさず、人間に、生きることに絶望していたあなた。
とにかく理屈っぽく、そしてこだわりが強かった。
私の勧めに素直に従ってアドラー心理学ベーシック・コースやSMILEを受講し、そのままアドラー・カウンセラー養成講座に進んだ。
その過程で、2008年6月22日には「生んでくれてありがとう」のタイトルでアルコール依存症その他の依存症にもがきながら、アドラー心理学と出会い、ご自身の自立への道を開いたことを語った(2008年6月23日付けブログ)。

ゼミナールが大好評だったので、翌年もまた講師をお願いした。
2009年7月20日に 7月度アドラー心理学ゼミナール ― 「回復と成長」として書いているが、個人史を語りながら完全に一皮むけた感じになっていた。

ペルグリーノ博士の講座にも出てくれていたね。

だんだんお坊さんにように見えてきたあなたに師匠伝来の数珠と作務衣をあげた。
そんな梅さんは、誰にも知られないうちにパートナーを見つけていた。
カウンセラー養成講座などで一緒だった優子さんだった。
埼玉に住んでいた梅さんは、優子さんに惹かれるようにアドラー心理学の仲間が多い山梨に移り結婚した。
このいきさつは、
2011年4月2日 山梨から新郎・新婦がご挨拶に

2011年5月22日 Happy Wedding
としてブログに書いている。


幸せそうだった。
山梨で産業カウンセラーの資格を取得した梅さんは、日本産業カウンセラー協会山梨分会の研修に私を招いてもくれた。
そして、2016年9月22日には、アドラー・カウンセラーの実技試験でも周囲をうならせるほどの力量で合格。
その前後は、アドラー・カウンセラー養成講座の再受講を含めて、優子さんと一緒に毎月のように講座に参加していたね。
ところが、その後、病魔に侵されていた。
その最中にも、梅さんはがんに直面しながらもジタバタすることがなかった。
フェイスブックにも闘病記を書き続けていた。
でも、病魔には勝てなかった。
「闘病記」とか「病魔」という言葉は、梅さんにふさわしくないかもしれない。
がんを受け入れていたのだものね。
それにしても梅さん、あなた、急ぎすぎだよ。
59歳だろ。
あなたを待っている多くの人たちを置いてこの世を去ってしまうなんて早すぎだよ。
あなたは、人間としての迫力だけでなく、カウンセラーとしても、ものすごい力を持っていた。
あなたの生き様を本で読みたい人もいたはずだ。
だめだ、もう書けない。
とても悲しい。
【梅さんお別れ会】
日時:13日18時
場所:ジットセレモニー甲府ホール
甲府市高畑2ー19ー2
ご冥福をお祈りします。
さようなら、梅さん。
優子さん、お疲れ様。
電話では話したけどね。
あなたは気丈な人だ。
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