地蔵院は、京都市西京区にある臨済宗系の単立寺院。山号は衣笠山。本尊は地蔵菩薩。周囲を竹林で囲まれていることから竹の寺の通称で知られる。一休宗純は幼少時、この寺で修行したと伝えられる。
この寺は、1368年(応安元年)、室町幕府管領を務めた武将細川頼之によって創建された。頼之は碧潭周皎(へきたんしゅうこう、宗鏡禅師)に帰依して出家した。当寺の実質的な開山は碧潭周皎であるが、碧潭は法兄である夢窓疎石を勧請開山としている。
南北朝時代には勅願寺となって寺運も興隆したが、応仁の乱の兵火により伽藍を焼失し寺運も衰えた。江戸時代中期に中興され、江戸期には天龍寺に属した。もとは臨済宗に属していたが、1968年(昭和43年)に独立して単立寺院となった。(Wikipediaより引用)
京都には同名のお寺が少なくない。地蔵院という名をもつお寺も同じである。ひとつは北野天満宮近くにある別名椿寺と呼ばれるお寺、そして今回取り上げるのは西山にある別名竹の寺と呼ばれるお寺である。
地蔵院は世界文化遺産である苔寺の近くにあり、苔寺側からも行くことができる。少し小高い丘を登ることになるが、分かりやすく距離もそれほどない。
一方、通常の道路から向かうとなると、かなり入り組んだ道筋であり道幅も狭く、本当に地蔵院に辿り着くのだろうかと心配になるような道である。
別名竹の寺と呼ばれるこのお寺、その名のごとく竹林に囲まれ参道は実に美しい風情を漂わす。いわゆる観光寺院のような派手さはないが、どこかしら懐かしさがすっと心に入り込んでくる空気感を持っている。
参道である竹林の奥に、まず本堂のみが佇み周囲に建物はない。この孤立して立つ本堂が、周りの景観に溶け込み逆に風情を増しているようである。
本堂から少し離れて方丈があるが、方丈の前庭は十六羅漢の庭として知られているようである。十六羅漢というが、実際に羅漢が置かれているわけではなく、置石を羅漢に見立てるのである。しかし私のような凡人には悲しいかな庭の凄さがよく分からない。十六羅漢の庭は撮影禁止のため絵はない。
ただ方丈の古さや佇まいは、やはりどこか心に響いてくるものがある。古寺巡礼(私はただの物見遊山だが)はこうでなくてはならない。