学習障害と英語指導を考える

特別支援の視点から。
どの子もハッピーになるような指導を。

教育の“自己責任”

2011年12月11日 | 日記
先日べつのブログで、私のTOEICクラスの様子を紹介しました。


特別支援とは、重ならないんだけれど

わたしがなんで特別支援は別に特別じゃないと思うか、

それは普通の授業で既に実施していることとあまり変わりがないからです。


下にコピペします。

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今日は、短大のTOEIC IPテスト。(学内でお得に受けられる♪)


監督だから7時までおらなあかんわーーー。



わたしはTOEIC科目を2つ担当してるけど、

TOEICは楽しいです。


教室ではu-CatというオンラインのTOEICシステムを使って、

模擬試験を半期で4回受けさせてます。


最初の模試のスコア分析から、


どこが弱いのか、この力は何と関係しているのかを生徒と一緒に確認して、

今学期の目標、

一年後の目標、

将来の目標を立てます。


今学期や一年後の目標は、なるべくスコアで書くけど、

将来の目標は、「字幕無しで映画が見れるようになる」とか

「1人で海外旅行に行けるようになる」「フライトアテンダントになる」など

英語を使ってどのような夢を実現させたいか、です。



その夢を実現するのに、

どれくらいの時間をかけたいのか、

つまり、何年後?という話しを

1回目のカウンセリングで話します。



実現を2年後に、というのであれば、

今の英語のスコアや状態から、

2年かけてどれくらい何をすればよいのかというところで、

教師の具体的なアドバイスの出番です。




そして、今学期の目標のTOEICの点数を出して行きます。



TOEICスコアのよいところは、

何が弱いかの分析表がついてくるところなので、

文法が弱いとか、読解が弱いとかわかりますから


「これ、どう思う?」

「ここをやると、ここも伸びるよ」

「ここが、こっちの足を引っ張ってるから、先にこちらをやったほうがいいよ」


など、分析シートの理解を助け、

学習計画表に持って行きます。

(もちろん自分で作らせます)



計画は全員が立てるのですが、

「何を」「どれくらい」「いつ」を決めて実行するのは大変。

なのでカウンセリングを毎月やります。






「続かなかった」ときに、たいてい生徒は申し訳なさそうに、

ごめんなさい、と言ってきます。



 「わたしにあやまる必要はないよ。
 
  先生は、全然、あなたの英語が上がらなくても痛くもかゆくもない。
  

  でも、あなたはそれでいいの? 

  最初に立てたこの○○っていう目標は、どうするん。


  これ、もうどうでもええん?


 「いやです」


というと、ほんじゃー一緒に考えようか




なぜ続かないのかなあ?と本人に聞き、


自分の計画ややり方、生活の見直しをしていきます。



クラス全体で、1人1人の目標と勉強方法をお互い発表することもあるし、

勉強方法のアドバイスをペアですることもあります。



クラス全体で、「勉強しよう」という雰囲気を作るのが大切です。




個別計画の内容は、

問題集をする子や、本を読む子、映画を見たり、歌で覚えるなど様々です。


問題集も、どのタイプが自分に合っているのか、考えてもらいます。

安易に与えられた物だけをやっていても伸びませんから。



単語帳にしても、書いて覚えるタイプなのか、聞いて覚えるのか、

ということも自分で考えさせます。


学びは、個人的なものです。

学びのスタイルも、1人1人違うのです。



だからこそ、こちらも生徒の内面に問いかけながら、

アドバイスを考えます。



とにかく基本は、“自分の気づき”です。


学習は、自分が責任者です。




自分の学びを理解し、自分の目標が中心でないと、

伸びないし、やる気がでない。





そして、これできちんと勉強する子は、


おそらく中高で落ちこぼれてTOEIC100点台とか200点台の子が、

300,400と上がっていきます。


毎年半期で200点くらい上がる子がいます。






こんなん見てると、


先生が授業で文法を教えたりっていうのなんて、

ホント、何の大した助けにもなってないよな、

と心から思っています。




授業を受けても受けなくても大した差はない。



差が出てくるのは、

その子がやろうと思ったか思ってないか。



中間テストや期末で点数が一瞬上がることに、何の意味もない。



継続的な学習態度を学ぶこと、

自分の勉強方法を知ること。

だから、わたしの授業は、確認テストはするけど、

定期テストで成績をつけることはありません。


でも、生徒は勉強するし、英語力は上がっていきます。


以前は、テストで評価をしていたんだけど、

「どうしてこのやり方で評価をつけなくてはいけないのか」

疑問に思うようになって、

いまでは、意欲、参加態度、出席、課題提出だけで成績を出しています。



「先生の授業は、やさしい。でも厳しい。」

と生徒が言ってくれるのは、嬉しいです。



その子が、「勉強するってこうするんだ」「わかるのって嬉しい」「楽しい」

って思えるようになって欲しいと思っています。


授業は雰囲気を作ったり、勉強方法を教えたり、

その子が知りたいと思ったことを提供する場なのだと思っています。



反対に、自分でやる気がどうしても出なくて、

単位のためだけに来てるような子は、

私の授業には、向いていません。




でもそういう風に育てられてしまった子供たちを

「勉強は、自分のためなんだよ」

というように意識を変えるのはとても大変。



「先生は、きみたちの成績をつける人じゃないんだよ」

をわかってもらうのも、とても難しいです。




教員はあくまでも、彼ら個人の学びの支援者というスタンスでいます。

やる子は伸ばしますし、

やらない子は、自分で落ちることを選択したのだ、と思ってますし

授業ではそう伝え続けています。



「何のために、これやってるの?」

って。




2年間担当している子のスコアが、彼女の私生活に影響されて

あがったり下がったりしているのを見ると

「今、こんなことが大変で・・・」というのも

「そっかあ、じゃあ落ち着いたらまたがんばろか」

のように話したり、

そして彼女の問題が片付いて、「先生!次回はリベンジです!毎日やってます!」

と話し、

実際にスコアが上がったりするのを一緒に喜ぶことができるのは嬉しいです。





正直、スコアは単なる目安にしか過ぎないし

私が期待しているのは、「自分で学ぶ力を身につける」ことなので

下がることが悪いことだとも思ってないんだけどね。



こんな感じでTOEICを通じて教えるのもとっても楽しいです。

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