先週、私の尊敬する、経験豊かなアドバイザーのような存在の保護者の方が
国語のレッスンのあと、
「先生は、もしかしたらAくんのカリスマティックアダルトになるかもしれない、
と思って見ています」
とおっしゃっいました。
お恥ずかしながら私はそれまで「カリスマティックアダルト」という
言葉を知らなかったので、さっそく調べてみました。
(日本語ではあまり旨く訳されていないようで、
どこかで「カリスマおとな」という訳を見たけど、
なんか、かっこよくない・・・気がする)
竹田契一先生がよく講演会でお話されているようですが、
特に発達障碍の子どもが、自分を理解してくれると信じ、
目指すモデルのような大人・・・・その役割は、
その子のこころの支えです。
アメリカでの研究によると、
子どもが立ち直っていく一番の要因として、
少なくとも1人以上の「カリスマティックアダルト」の存在があげられるそうです。
当たり前のことですが、子どもには信用できる大人の存在が、必要です。
その子の存在の価値を認め、
自分を信じ、話をしてくれる人です。
実際 私たち大人が子どもの頃を思い出すとき、
「この人のおかげで変わった」と思える人が少なくとも1人以上、
思い浮かびませんか。
わたしには・・・やはり数名の先生が思い浮かびます。
そのなかでも小学校5年生で
私が勉強から完全に落ちこぼれてしまったとき
私の得意な絵をとても褒めて下さった、担任の先生が忘れられません。
それだけではなく、美術部に入って色々な絵を描くことを奨めてくれました。
ぼんやりして、集中力がなくて、勉強がわからなくなっていましたが
(そして親をとても心配させました・・・)
その先生は、いつも前向きな話をするので、
安心して会話をすることができました。
振り返って今でも懐かしく思います。
あなたにも、そんな、こころの支えのような存在はいませんでしたか。
その人は、
あなたにどんな言葉を伝えてくれましたか?
何を一緒にしてくれましたか?
何を教えてくれましたか?(科目じゃないですよ)
どのようにあなたに接してくれましたか?
あなたはその人といると、どう感じていましたか。
いま、多くの子どもたちが尊敬できる、
そのような大人に出会えずにいるそうです。
さらに研究では、カリスマティックアダルトは、
”毎日会う人”というわけでもなく
一時の出会いでも、その子にとって特別な存在になれると示唆しています。
これを読んでいる大人である私たち一人一人が、
出会う子どもにとってそういう存在になる可能性は十分にあるのですね。
ほかのサイトで検索していると、
「もしカリスマティック・アダルトのような大人が一人でもいれば、
○○は、こんな犯罪を起こすことはなかっただろうに・・・」といった記述も多く見られました。
LDや発達障碍をもつ子どもたちは、
「誰も信用できない、社会は自分を受け入れてくれない」
と思いがちです。
なぜなら、周りの大人からは常に
「きみは変わらなくてはいけない」
「君はダメな子だ」というメッセージを受け続けることが多いからです。
こちらのサイトに「カリスマティックアダルト」について
どんな人というのが具体的に挙げられていました。
なるほどな~と思うところもあったので、紹介します。(日本のサイトでも検索するといくつか出てきますよ)
カリスマティックアダルトは、次のようなことを当たり前としています
- 子どもには、多元的な知能があること
- わたしたちの社会には、多様性が必要であること
- 子どもにおける”正常”というのは神話のような作り事であること
- 行動とはコミュニケーションであり、言葉であること
- だれにもその子の能力を予測することなどできないということ
- つぎの3点の基本的な要求がほかの何よりもまず優先すること、 それは・・・
子どもたちが、自分はここに居場所があると感じること
子どもたちが、自分自身に選択権があり、自立していると感じること
子どもたちが、「自分はできる」と感じること
カリスマティックアダルトとは、こんな人です
- 相手に共感することができる
- 子どもににレッテルを貼らない(この子は怠け者だ、努力しない・・・etc.)
- 子どもが、自分の弱点を”ギフト(才能)”にする(reframe)手助けができる
- 「何が欠けているか」ではなく、今ある自分の素質をベースにしたアイデンティティーを育てる手伝いをする
- 「きみは、壊れてなんかいないんだよ!」というメッセージを与える
- 怒りを取り除き、冷静な無関心を用いる
- 子どもをぞんざいに扱ったり見下さない
- 子どもの目線に立つことができる
- その子が内に秘めている価値を見いだすことができる
- うまくいかないとき、子どもではなく、「自分はどう違ったやり方ができるだろうか」と考えられる
- 子どもからフィードバックを求め、真剣に話を聞くことができる
私には3名の日本人先生と、ホストマザーが浮かびました。
子どもが安心して自分の力を信じることができるようになるための存在、本当に素敵です。
こういう人になりたい、と漠然と思っているものに、名前をつけられたとたんに明確になることがありますね。
言葉、定義って、すごいパワーがあるなあと思います。
常々、勉強をつめこむだけでは行けないと思っていました。信頼関係こそ、一番大切にしたいことです。
こんな私でも、子どもたちのために役に立てるように、日々向き合っていきたいです。
カリスマティックアダルト、子どもたちには本当に救いとなるような大事な存在ですね。
なかなか英語の話からそれていってますが、
”教室”という環境で、“教師”が”子ども”を教えるという
さまざまな要素があってこその授業ですから、
どれひとつとっても、大切で、
もっtもっとよく知りたいなあ~と思っています。
子どもにとっては、勉強がどうこう言う前に、
いろんな前提(そもそも生きる意味、勉強する意味とか)から
不明瞭なわけですから、
大人が明るい未来を示さないことには、何もかも苦痛になるか、何にも考えない子どもになるか、かなあとか。
そして私は大人ですので、彼らに大人として、教師として、
どうか変わるとよいのかな、とか。考えています。
私の私見ですので間違ったことも書いているかもしれません。ぜひまた感想をお聞かせ下さい。