一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

3007  老犬に母の蛍が来てとまる  雲水

2023年08月26日 | 

 昔、蛍を見た時、瞬時に「母だ」と思った。私の場合は、疑う余地がない実感であった。水もない山中に蛍が来た不思議。この40年でたった一度切りの不思議。蛍が母であると思った不思議。この世には、事実かどうか、分からないことが沢山ある。

「虫に死者の霊を感じたことがあるか」

「雪女や佐保姫を見たことがあるか」

「幽霊や、亡霊を見たことがあるか?」

「火の玉を見たことがあるか?」

「河童や座敷童子をみたことがあるか?」

「ネッシーを見たことがあるか?」

「正夢を見たことがあるか?」

「臨死体験はあるか」

「UFOを見たことがあるか?」

死者の霊、幽霊、亡霊、雪女、佐保姫、火の玉、ネッシー、UFOなど、画像や文献で知識として知っていることと、実際に見た実体験したこととは、全く違う。天地の差がある。

例えば、映画やテレビで観たからといって、知識として「知っている」とは言えても、「体験した」、とは言えない。

 昔からの、これらの民間伝承は、ある人が見た、と言ったことが流布し伝承され、存在の信憑性が増していって、次第に現実味を帯び、時には文章化され、ドラマ化されたりして、人々に信用されていったのだ。但し、本当に見たことのある人はほとんどいない。

だからこそ、俳句にとって実体験こそが、最も重要なのだ。実体験の話を聞いた人は、「本当だろうか?」と疑うこともできるし、信じないこともできる。但し、その話をした人は証明することはできないし、聞いた人は否定することもできないのである。

クサギ(臭木)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3006  今日揚羽昨日金... | トップ | 3008 暮の秋チーズが好... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事