一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

253  藍々と五月の穂高雲を出づ  蛇笏

2011年05月22日 | 

(あおあおと ごがつのほだか くもをいず) 

 

藍(あい)は、タデ科の一年草で染料として、又漢方薬としても使われる。「藍々」は、「あおあお」と読んでいいだろう。日本人なら、藍染の「藍色」は、誰でも知っている。 

 

同じ読み方の「青」は、「青葉」や「青嵐」「青時雨」など、緑として使われているから、その混乱を避けるため、「藍」を使ったのだ。 

 

余談だが、「青」には、他にも「碧」がある。碧落、碧雲、碧海、碧眼などと使われている。もう一つ「蒼」がある。「蒼白」「鬱蒼」などと使われている。

 

「五月」は、「ごがつ」であって、「さつき」ではない。「さつき」は、「皐月」であって、旧暦の五月だ。「さみだれ」は、「皐月雨」であって、「五月雨」と書くべきではない。つまり、旧暦と新暦がごちゃごちゃになっているのだ。

 

 さて、長野・岐阜県境にある穂高岳は、飛騨山脈の最高峰、奥穂高岳3190メートルをはじめ、北穂高岳3100メートル、涸沢岳3103メートル、前穂高岳3090メートル、西穂高岳2909メートルが連なる登山のメッカ。

 

 

 雲が流れて、隠れていた穂高が現れたのだから、正しくは「雲が穂高を出た」のであるが、作者は「穂高が雲を出た」、と言っている。こういう表現は作句の参考になる。

 

グラジオラス

 


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