一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

夏至空の沸き立つ雲へ委ねたし  豊春

2018年07月05日 | 

  はてさてこの句、何を委ねたいのだろう、と読み手である私は考え込んでしまう。というのは、例えば、夢や希望・苦しみ・悩みなど心の問題。病気や健康など体のこと。我が身や連れ合い。恋人・父母兄弟・友人など人間のこと。人生や来し方行く末・運命・死だってあり得る。つまり、何でもありなのだ。

 この句を、意味不明と切り捨てることもできるだろうが、作者には自分で解決できない問題を抱えていて、放り出したい気分でいるのではないか。かと言って、そんな深刻な問題ではなく、楽しい気分の句であることもあり得る。つまり、読者次第で解釈は何でもありなのだ。

オオバギボシ(大葉擬宝珠)


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