一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

672  内側の外側にいて秋立ちぬ   春樹

2012年08月13日 | 

 この句、昨日までは夏だったから「夏の内側、秋の外側」にいたことになる。ところが、今日は秋だから「秋の内側、夏の外側」にいることになる。つまり、(秋の)内側にいて、(夏の)外側にいる。昨日まではその逆だった、というわけだ。

屁理屈かもしれないが、理屈上はそういうことになる。

  立秋によって、同じ場所で同じ生活をしていながら、夏の内側から外側に変わってしまった、作者の新鮮な驚きが感じられる。

 とすると、この句は夏を見ている立ち位置だが、真後ろを振り返れば、秋と冬を仕切る透明なガラス戸が、もうそこに見えているに違いない。

カンナ(カンナカンナ属)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする