一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

667  撫子や狂へば老も聖童女  蓼汀

2012年08月08日 | 

 (なでしこや くるえばおいも せいどうじょ)

 ナデシコ(撫子)は、秋の七草の一つで、かわらなでしこ(河原撫子)、ヤマトナデシコ(大和撫子)とも言い、古名の「とこなつ」、別名「おもひぐさ」「なつかしぐさ」などとも呼ぶ。

 さて、耳が遠くなるのは、俗世間の雑音を避け、安らかに暮らせということ。老眼になるのは、細かい仕事や読書などは止めろということ。体力がなくなるのも、記憶力が減退するのも、今までのようにあくせくせず、のんびり暮らしなさいということ。

 最終的な痴呆やボケなどは、死の恐怖からの解放であって、だからこの句のように、美しかった少女が、老いて認知症になり、再び穢れのない聖童女に戻るのも、すべて神様の優しい計らいであり、実に有難い御沙汰なのである。

サンゴバナ(珊瑚花) キツネノマゴ科キツネノマゴ属、別名ジャスティシア

コメント
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