昨日(25日)、那珂川市制施行を記念した「五ケ山クロスマラソン」が、五ヶ山ダム周辺で開催された。主催者によると約1000人が参加したとのこと。かつてこの地にこれほど多くの人が集まったことがあっただろうか。
那珂川市は、五ヶ山ダム周辺をアウトドア拠点と位置付け、このエリアを「五ヶ山クロス」と名付けた。現在、ダム周辺ではキャンプ場や商業施設の工事が進められているが、オープンは来年3月1日の予定となっている。昨年からの少雨でダムに水が貯まらず、今も試験湛水が行われているため(ダム湖を活用したカヌーなどのアウトドアスポーツができないため)、約1年遅れのオープンとなる。
もちろん登山もできる。近くには九千部山(848m)や脊振山(1055m)が控えている。五ヶ山ダムの北西には一ノ岳(648m)という山があり、山頂には一ノ岳城跡がある。そもそも五ヶ山は、地理的・歴史的に大変興味深いところなのだが、残念なことに、歴史を伝えるものは殆どダムに沈んでしまい、今では姿を見ることはできない。「五ヶ山クロス」の名付け親である松原一郎(新潟県)さんは、「クロス」に交流の意味を込めたと仰っているが、それこそ五ヶ山ダムのクロスした部分(中心部)には、かつて軍事上の要衝となった「佐賀橋」という橋があった。(下写真参照)
戦国時代、この佐賀橋を起点にし、南は肥前国(龍造寺氏)、北は筑前国(大友や毛利氏)、西は筑紫氏の詰城だった「一ノ岳城」、東は筑紫氏の本城だった「勝尾城」と、佐賀橋は、肥前と筑前を往来する十字路として重要な役割を果たしていた。まさに、ここは多くの人が交流する地点だった。松原さんがこのことをご存じだったのかはわからないが、五ヶ山は歴史的にも「クロス」な場所だったのである。
昨日、多くの人が走ったその場所で、かつて大勢の武将が走り抜けていた。よもや400年後に水の中とは思わなかっただろうが。
ダム堤体を走る大勢のランナー (写真:西日本新聞より)
五ヶ山ダム周辺施設位置図 クロスしたところに佐賀橋
佐賀橋 ダム建設がはじまるまで存在していた(写真:那珂川町の歴史を学ぶ会資料より)
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