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中村哲医師お別れ会報告

2020-01-27 16:47:27 | 中村哲医師

先週土曜日(25日)、ペシャワール会主催「中村哲医師お別れ会」に出席した。開会は午後2時だったが、午後1時すぎに西南学院大学に着いたときには、すでにチャペルは満席となっており、隣接する1号館教室の整理券が配布されていた。正午頃にはキャンパス内に長い列ができていたようで、かなり早い時間にチャペルの整理券はなくなっていたようだ。(読みが甘かった)

というわけで、教室での参加となったが、スライド前の席が空いていたので、おかげで式の様子がはっきり窺えた。教室は、全部で11室(98席/室)用意されていたようだが、教室に入りきれない人も大勢おられたようで、あとから立ち見の方がたくさん入って来られた。報道によると、およそ5000人の方が参列されたとのこと。中村氏がどれほど多くの人に愛されていたか、その大きさは計り知れない。

お別れ会は、ペシャワール会の村上会長の挨拶ではじまった。会長からはペシャワール会の事業について、今後も変わりなく継続していくとの強い思いが語られた。最後、中村氏の言葉を朗読されていたところで言葉は嗚咽に変わった。続いて、駐日アフガニスタン特命全権大使バシール・モハバット氏の挨拶では、中村氏は現地ではカカムラッド(ナカムラのおじさん)と呼ばれ、アフガン人から愛されていた。偉大な友人であり英雄だ。今も多くのアフガン人が悲しんでいると、何度も涙で言葉を詰まらせながら話をされていた。すると教室のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきた。(こちらも目頭が熱くなった)

ご遺族からは、長男の健氏がお父様との思い出など語られた。長女の秋子氏は中村氏が亡くなった翌日、現地へ迎えに行かれた時の様子、経緯や感想を詳しく話されたが、表現の仕方がどことなく中村氏と似ていた。中村氏の伯父は小説家火野葦平だが、やはり血筋だろうか。そのあと、中村氏が残された多くの言葉を高校の後輩の方が朗読され、献花がはじまった。献花の間、三女幸さんがピアノを弾かれていたが、最初の曲はNHKドラマ「氷壁」(原作:井上靖)の主題歌にもなった、リベラの「彼方の光」(神様はいつも見守っているという曲)だった。瞬間、登山が大好きだったお父様へのプレゼントかと思った。

献花は、チャペルの方(およそ千人)からということだったので、教室で待つこと約1時間半。その間、隣に座っておられた年配の男性(70代?)の方と言葉を交わしたところ、妙に話が合い、最初は中村氏に纏わる話から、いつしかデタラメな安倍政権やそれに追随する高島市長の話まで。あっという間の1時間半だった。(話の中で、次男さんがアフガニスタンで亡くなっていたことをはじめて知った)

午後5時前、教室からチャペルへ誘導された。祭壇へ上がり、中村さんの遺影の前に黄色いバラの花をたむけ、感謝の言葉を送ってお別れをした。最後に、祭壇下にずっと立ち尽くめのご遺族の方々に深く一礼をし、会場を後にした。

これからも支援をしていかなくては、、

 

撮影日:2020.1.25

献花を終えて 会場には名残惜しむ人の姿も (写真右にご遺族の方々)

 

 

 

 

午後1時すぎ、到着 遅かった、、

 

 

 

 

チャペルの中の様子だけでも、、 

 

 

 

 

というわけで、ここで

 

 

 

 

中村さんとともに亡くなった5人の方々の遺影と(教室のスライドより)

 

 

 

幸運にも座席の近くにスピーカーがあり、しっかり録音できました。音声のみですが、お別れ会全記録をYouTubeにアップしましたので、お聞きいただければ幸いです。(全録音1:04:55)

  

 

 

 

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「献花だけでも」中村哲さんお別れ会に5000人 長蛇の列も祈り静かに(西日本新聞 2020.1.26

「中村哲医師 その歩み」(西日本新聞)※随時更新

中村哲医師特別サイト「一隅を照らす」(西日本新聞)※随時更新