「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

ピアノの調律

2005-10-12 10:10:42 | 音楽
たまに娘が帰ってきて、ピアノを弾いているとピアノの音っていいなぁ~、と思う。娘が三歳頃から親子3人で習っていた。ピアノの音は私には思い出と一緒に、心地よく響いてくる。
この間も娘がピアノを弾いていて、「音狂ってるよ、気持ち悪い」という。悲しいことに私には分からない。娘たちは小さい頃からの教育の成果で、絶対音感が身についている。私はといえば、全く絶対音感が無い。ピアノの先生が、子どもと同じように聴音をしてくれようとしたが、すぐに私への教育は諦められた。
原因は、小さい頃の音楽教育にあると私は思っている。小学生の頃音楽が好きでハーモニカとか縦笛に夢中になっていた。学校の帰り道も、縦笛を吹きながら、歩いていたのを今でも思い出す。学校の音楽の教科書は、最初にすべて移動ドでドレミをふって、ハ長調の音階に直して縦笛を吹いていた。その癖が、未だに抜けきれず。聴音をしてもらっても、まずはドを探してそこから音を拾ってしまう。だから調によってドが移動して、私の頭の中では曲よって違うドができあがってしまう。ヘ長調だとファがドで、ト長調だとソがドである。これは、間違いではなく昔はそうして教育されていたのだが、これでは絶対音感が付くわけはない。
絶対音感とは、ドの音は絶対に一つである。ピアノの鍵盤の音は一つずつに一つしか音名はないので、それを記憶したらキーを押すと音名が出てくる。それが絶対音感だ。
それともう一つは、狂った楽器の音で教育されても絶対音感は付かない。自分で絶対音感が無いことを、ピアノを習いながら悲しいことだと思っていたので、ピアノの調律だけはちゃんとやってきている。
昨日は、定期調律の日だった。調律師のNさんとは前の古いピアノから20年以上のおつき合いだ。とても時間を掛けて丁寧に音を合わせてくださる。そして終わると近況に話が及び、私の習っていた先生の近況も聞ける。
帰られた後は、日頃あまり見向きもしていないピアノだが弾いてみたくなる。やっぱり絶対音感はなくても、音が綺麗に響いているのはわかる。最近は弾ける曲も少なくなっている。ひとしきり、ソナチネという教則本で遊ぶ。最近マンションである我が家の階下から、良く聞こえてくる曲でもある。
やっぱり、音楽や山の美は私にとって共通していると感じる。最近よくいわれている「癒し系」なのだと納得した。

写真は45年ほど前の私のピアノである。今のピアノを買うときに下取りされても壊されるだけという運命を悲しく思い、知り合いの人にもらってもらった。もしも今もあるのだったら、会ってみたい…。(17年前の写真)

教訓「三つ子の魂百まで」「鉄は赤いうちに打て」教育は大事だと、つくづく思った。



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