「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

こどもの日 

2012-05-06 05:10:00 | 雑感
昨日5月5日は「こどもの日」だ。
この日は端午の節句で男の子の日となっている。子どもの頃からも、3月3日の女の子のひな祭りと性による違いを思ってきた。

しかし、私が子どもの頃は、祖母がチマキの葉(たぶんヨシの葉)を今の枚方市京阪樟葉駅(そのころは何も無い沼地だった)の近くの沼に採りに行っていたと聞いている。そして家族総出で大量のチマキを作っていた。京都の祇園祭のときに配るチマキと同じ形のものである。子どもの頃の私は、見よう見まねで遊びながら必ず一緒に作っていた。もちろん難しくて、なかなか形にならなくて苦労していたのを覚えているが、祖母が手を取り丁寧に教えてくれた記憶がある。
その大量のチマキを五本ずつ束ね、それに縄を掛けて台所にずらりと吊るして出来上がり。チマキの中身は単なるお餅(団子)で、何も味がついていない。
その日からは学校から帰ると、毎日おやつはチマキだった。掛けてあるチマキを外して祖母が蒸してくれる。食べ方は、チマキの頭から葉っぱをむき手もとまで捲り、味が何も付いていないからお砂糖を付けながら食べる。
その頃農家だった私の家では、祖母が大量に蒸したチマキを学校帰りの私に持たせて、家族たちが野良仕事している田んぼや畑に持っていくのが日課だった。それを「けんずい」と言っていた。私の母(卒寿)もおやつのことは、いまだに「おけんずい」というが、誰にも通じず、「おやつ」と言い換えている。京都の言葉で、昔は間食やおやつのことを言ったらしいが、私が大人になってからはほとんど聞かない。

何かにつけて、小さな子どもでも大人に交じって手伝わされて、子どもは遊びながらいろんなことを習得して行ったようだ。今では、考えられないが小学校に入った頃から、かまどでご飯を炊くのも学校に行く前の私の仕事だった。唯一家にいるおばあさんが、私の母代わりであり、家庭でのいつでも褒めてくれる優しい先生でもあった。そんな、遊びながらの生活はとても楽しい思い出として、今でも私の心に残っている。

さて、私には娘しかいなかったが男の子の初孫が出来、昨日めでたく初節句を迎えた。この日を迎えるのに、私にはいったい何が出来るのだろうかとずっと思っていて落ち着かなかったが、昔のようには当然出来ない。
最近は、屋根より高い鯉のぼりも見かけないし…。
いったい、よそ様はどうして居るんだろうかと気になっていた。
とりあえず、五月人形をと思いネットサーフィン。そして娘夫婦と相談して、小さな飾り兜と鯉のぼりと名前を書いてもらった幟をセットにして、孫が着るチャンチャンコと兜を購入し、その前で写真を撮った。
そして、チマキは近くの和菓子屋さんで購入。その和菓子屋さんも、苺大福は大量にならんでいるのに、チマキは申し訳程度にあるだけ。

そうか、私が生きてきた60年以上のあいだに世の中はずいぶん変わってしまっていたんだ、と改めて思い知らされた節句だった。
私はおばあちゃん子だったが、これからの私の人生は「おばあちゃん人生」としての人生についても思いめぐらす日となった。今では「おばあちゃん子」という言葉は消えてしまっているのかな?

夕方娘夫婦が気を利かして(たぶん)、2時間近く家を空けてくれた。私はその隙に孫を抱っこ紐に入れて散歩。何も分かっていないような5ヶ月の孫も、私のおしゃべりにおとなしく付き合ってくれていた。
しかしこの世に生まれてたった5ヶ月なのに、いろんなものをちゃんと観ている。いや観ようとしている、のを感じる。ババ馬鹿かもしれないが、じっと見詰める孫の目を見ていると、これは確かだと確信できた。
これからは、ババしか伝えられないものを伝えるぞ~。

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