「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

おしょらいさん

2007-08-14 08:35:45 | 生活
お盆の休みのときは、かならず山やクライミングに行ってるという生活を長い間やって来た。しかしとうとう、今年のお盆はおとなしく家にいる。
それは、母の高齢化で「おしょらいさん」を迎える準備が出来ないからでもある。おしょらいさんはお精霊さんと書くらしく、死んだ人の霊で、私は子どものころからお盆の期間(8月13日~16日)は「おしょらいさんが帰ったはるさかいに、お利口にしとかんとあかんえ~」とお婆さんに言われて育った。今では死んでしまった人が帰る訳ないやんと思っているのだが、子どもの頃は何となく神妙な気分になり、仏壇のある部屋に入るのは気味悪かったことを思い出す。
「早よ行かんと、枯れた花が墓にあるとみっとものない」(みっともない=世間に恥ずかしいということかな?)と、母に急かされ、日曜日の12日は早朝に、おしょらいさんを迎えにお墓まいり。9時半ごろ行ったらどこのお墓も綺麗なお花で飾られている。お墓は家族連れで大賑わいだ。
そして、昨日はお供えの買い出し。お供えは、蓮の葉っぱの上にカボチャ、キュウリ、ナス、トウモロコシ、サツマイモ、ホオズキなど農作物を載せて飾る。それに、桃や梨の果物、蓮の花を型取った菓子など処狭しと並べられる。日頃しまってある仏具も並べられ、今日はお防さんがお参りに来るのでまた実家に行かねばならない。大変だぁ~。
もっと大変なのは、おしょらいさんの帰っている間は、精進の食事を毎日お供えしなくてはならず、当然家にいなくてはならない。ということは、お盆休みなのに遊びには行けないということだ。
16日におしょらいさんをお墓まで送って行くまでの一連の行事を、私は無関係に過ごし、ずっと山に行っていたのである。
ところが、今年は何かと私が母の代わりにしなくてはならなくなってしまった。私の実家で行われてきた一連の家の行事は、代々女性が守って来た。それを子どもの頃には見ながら育ってる。
しかし、実際自分が関わることになるとは夢にも思ってもみなかった。子どもの頃、毎年繰り返される家の行事を大人になった私は、古い因習と否定的に見ている部分もあった。
この年齢でまた、古い記憶を呼び戻すようにタイムトンネルを逆走してしまうとは…。
最近こんなことが多くなり、身の回りの過去の人たちの生きて来た道を辿ることも増えて来た。
私は、いつも新しいものを追いかけ来たと自分では思っていた。そう、前を向いて突き進む!
ところが一段落して、いろんなきっかけでふと立ち止まると、結局は自分の生い立ちから逃れられないという運命的なものを感じてしまう。
母まで受け継がれて来たものを今は母に頼まれてやってるのだが、また自分の中でも芽を出しかけてきている気がする。10歳代後半から逃げ出すことしか考えていなかった家なのに…。
自分では全く気づいていなかった運命的なものを、何となく感じてしまう。
これも、実家に帰って来たおしょらいさんが私に語りかけているのだろうか。
もしも、本当におしょらいさんが実家に帰って来ているのなら、聞いてみたいことがたくさんある。
お盆とは…? といろいろ考えさせられた、今年のお盆である。