「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

ひな祭りに思うこと

2006-03-03 09:38:10 | 生活
今日はひな祭り。家は双子の娘がいるので、小さい頃はひな祭りに近所の子供たちを呼んで、ごちそうを作ったりしていたのを思い出す。どんな家にも豪華なあのひな人形があるにもかかわらず、家にはない。あるのは、私が作った高さ10センチほどの質素なひな人形。ず~っと本棚に鎮座している。
ところで、男の子の節句は兜で、ひな祭りはひな人形を飾るという習慣はいつからなんだろう。私は、弟と二人兄弟だが私の子供の頃に鯉のぼりと兜は記憶にあるが、私のためのひな人形はなかったし、特にお祝いをしてもらった記憶がなかった。近所にもその当時は、見たこともなかった。私の娘が通っていた幼稚園には7段飾りの豪華なものがあっが、私の子供のときにはやはり無かったと思う。その頃は全体に貧しかったのもあるが、長男の場合は何を差し置いてもちゃんとやっていたのだから、田舎の価値観が理解できるだろう。
最近でも、どんな家に行ってもひな人形が飾ってるのだろうか? 私が、当時子供に高価なひな人形を買わなかったのには、自分なりの考えがあってのことだった。家に無いことで、子供が肩身の狭い思いをするのではと迷ったりもしたこともあったが、意外と私流ひな祭りを受け入れているように思えた。あるときには自分の持っているあらゆる人形を集めて飾って、ひな人形に見たてていたこともあった。多分、そのときの写真が残っていると思う。
子供は小さいときには、親の考えで育って行く。世間並みという育て方は、私には出来なかったようだ。それは、私が親自身が思う世間並みという考えを押し付けられて育ち、小さい頃から疑問に思うことばかりだったからだ。
親とは、教師にもなり反面教師にもなる。ただ、親がぐらぐらしていたら、子供はその親からは、何事も学べないと思う。今も元気な私の母親は、未だに私にとって反面教師である。それは生きて来た時代と環境と教育で、たとえ親子でも違った人格となって成長するからだと思う。
今では、私は頑固な父親が、徹底して反面教師でいてくれて感謝している。その父への反発が、私の自立しなくてはという意識となったのは確かである。もう亡くなって20年近いが、今でも思い出すのは、殴られ勘当だと言われて一人で東京に見送られることなく出て行ったときのことだ。そして、東京の私へ、家を出て数年して突然音信不通だった父からの電話。びっくりした私は、「何かあったん?」「いや、何も無い。小遣いあるか?」とポツリ。『大丈夫』と言って電話を切ったあとに涙が止まらなかった。それが、きっかけで私は一応勘当が解けたもののと判断して、関西に仕事があると家に寄るようになった。それからの父は、死ぬまで佛のような人に変身してしまった。
子育てでは、私は自分の考えを通して来たが、押し付けてはいないつもりだ。このことの善し悪しは、分からない。近所の子供と同じようなひな人形を買ってもらえなかった我が家の娘たちは、このことをどうおもっているのだろうか? 聞いてみたくなったひな祭りの日のひとときである。

今も、本棚に万年雛
 
娘が小学低学年のころに作った雛段の写真。私が作った人形も娘が作った人形も仲間入り。
写真を探したら出て来たので…。