一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

世代交代の一局

2021-09-06 00:12:18 | 将棋雑記
大棋士同士の対局による、世代交代の一局はどれが挙げられるだろう。
有名なのは1952年の第11期名人戦で、大山康晴九段が木村義雄名人に4勝1敗で勝ち、初の名人位獲得。47歳と高齢?だった木村前名人は「よき後継者を得た」のコメントを残し、1ヶ月後に引退を表明した。まさに王者のバトンタッチが行われたのである。
ただ、木村十四世名人はその後もいくつかの公式戦に出場している。このあたり、当時のルールは曖昧だったのだろう。
次はその20年後の1972年、第31期名人戦で中原誠十段・棋聖が大山名人に挑戦したシリーズだろう。
中原二冠は2勝3敗と苦戦したがそこから振り飛車を連採し、いずれも苦しい将棋を逆転勝ち。24歳の青年名人が誕生したのだった。
これで世代交代なった……といまの私たちは思うし、その後編まれた「大山康晴全集」全3巻でも、第2巻の「無敵時代」は、この名人戦の前で終わっている。
ただ大山十五世名人だけはその後も名人復位を虎視眈々と狙っていて、果たしてこの2年後に名人挑戦。このときは中原名人・王将・王位と大山十段・棋聖の戦いだったから、もし大山二冠が勝てば、再び第一人者になるところだった。
さて木村→大山→中原とくれば、次は十七世名人の谷川浩司九段だ。
ところがこの中原十六世名人VS谷川九段の名人戦がハッキリしない。
まず名人戦初対決となった第43期名人戦(1985年)は、谷川名人に中原王座・王将が挑戦し、中原二冠が4勝2敗で奪取した。
その3年後、第46期名人戦で「中原名人」に谷川王位・棋王が挑戦し4勝2敗で奪取。これは谷川二冠が挑戦の立場だったから、谷川名人自身は最もうれしい勝利だった。
だが中原前名人もまだ若く、世代交代のイメージはなかった。
それどころか谷川名人は、その2年後(1990年)の第48期名人戦で中原棋聖・王座に2勝4敗で敗れ、中原名人の復位を許してしまう。こうなってはもう、世代交代はグチャグチャである。
戻って中原名人の落日はというと、1993年の第51期名人戦が挙げられる。このシリーズ、名人15期の中原名人は米長邦雄九段に0勝4敗で敗れてしまう。
このとき中原前名人45歳。年齢的にはもう、名人戦の檜舞台に登るのは難しく思われた。
とはいえ相手の米長新名人は49歳で挑戦者になったし、大山十五世名人の例もある。それに、年上に負けて世代交代もないものだ。
結局中原十六世名人はその年王将戦に登場したものの、負け。以後タイトル戦に出ることはなく、現役生活を終えた。よって、キーポイントのタイトル戦が、ないといえば、ない。
谷川九段は、最後のタイトル戦登場が2006年の第64期名人戦。このときは森内俊之名人に防衛を許したが、谷川九段は44歳。まだタイトル戦に登場すると思われたが、そうはなからなかった。
そして羽生善治九段である。常勝・羽生九段もタイトル戦から離れるときがやってくる。
2018年、第31期竜王戦で広瀬章人八段に3勝4敗で敗れ無冠になったときは、ひとつの時代が終わったと思った。
だが本当にショックだったのはその2年後、羽生九段が第33期竜王戦で豊島将之竜王に挑戦し1勝4敗で敗れたときだ。そのとき、羽生九段はもうタイトルを獲れないかもしれない……と思った。
コメント (3)
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