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一乗寺下り松

2012年10月26日 | 歴史街道
『宮本・吉岡決闘之地』と刻した石碑

宮本武蔵21歳の時、八大神社境内の「下り松さがりまつ」の下で吉岡一門十人と決闘したという伝説が残る。

八大神社

初代の下り松の古株は、この地から少し東へ行った八大神社はちだいじんじゃ境内に保存されている。
決闘の朝、武蔵は八大神社の神に祈ろうと立ち寄ったが、寸前で考え直しそのまま戦いに挑んだと伝わる。




一乗寺いちじょうじ下り松に伝わる逸話
他に「敦盛遺児伝説」が有名。一の谷で戦死した平敦盛たいらの あつもりの遺児が松の下に捨てられているのを、法然上人が拾い上げ立派な僧に育てあげたと伝える。

また、建武三年(1336年)に楠木正成が足利軍と対峙して、この地に陣を構えたとも伝わる。


西園寺公望公の野仏庵

漢詩人・書家として名高い石川丈山が隠棲した洛北一乗寺の詩仙堂前にある。

 <注>
 写真は、15年ほど前に撮影。
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7 コメント

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八大神社 (らいちゃん)
2012-10-26 09:04:06
八大神社には歴史に名を馳せた人物の伝説が残っていますね。
敦盛遺児伝説は知りませんでした。
遺児の御坊さんは法然の教えを継承して浄土宗を布教したのでしょうね。
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Unknown (鷲谷芝嵐)
2012-10-26 09:52:27
保存してある古株は公開しているのかな?
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Unknown (mone)
2012-10-28 09:19:23
一乗寺下り松、詩仙堂、地元にいながら、知ってはいましたが行かなかったですね。八大神社は名前も知りませんでした。
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保存状態が良い (青島老人)
2012-10-28 19:45:20
日本は伝統的な建物等保存意識が高いです、これは対外的に自慢できることです。
高度成長時ビルの建築ラッシュは今の中国と同じでしょうが、歴史的建造物 特に四合院は壊滅状態です。
一度壊すと復元コストは莫大でしょう、人類の知恵で共存はできないものでしょうかね?
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コメントします (iina)
2012-11-01 10:59:28
(らいちゃん) へ
果物と菓子が、同義語というのも説明を読んでなるほどと思いいたります。
「くだされもの」として果物を、菓子を「下賜」されるからかしも、思いました。・・・考えすぎですね・・・

敦盛遺児伝説は、能のあるそうですから実話かどうか不明です。なにしろ、伝説ですから。




(鷲谷芝嵐)さん へ
梨ほどみずみずしい果物もなし・・・です。

初代の下り松の古株は、iinaブログの「一乗寺下り松」記事中2枚目の写真-左の祠に納められていて、誰でも
見ることができます。




(mone) さん へ
大根は、年中食べることができますが、やはり冬の味覚ですね。

一乗寺下り松、八大神社、詩仙堂をお訪ねください。




(青島老人)さん へ
早朝の寒い中での太極拳に精が出ますね。
でも、健康にいいです。

京都は、連合軍の京を識る人たちの計らいで戦火から逃れました。護るという意識が薄いと、何処であろうと
残すのは難しいです。
なにより。形あるものは壊れます。
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宮本・吉岡決闘之地 (更家)
2015-02-28 08:43:02
へ~、一乗寺下り松には、「宮本・吉岡決闘之地」石碑の石碑なんてあるんですねえ!
知りませんでした。
島田美術館の刀とツバと併せると、リアリティが出できました!
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(更家)  さん へ (iina)
2015-02-28 10:47:06
独身時代、房総半島をドライブ旅したときに ”寄うろう” と思った「養老の滝」を 身近で見ました。(^^ゞ

滝の水がお酒になった親孝行伝説のある岐阜県の養老の滝と間違えましたよ。
居酒屋チェーン店がこの名を使い、より知名度が広まり地元の方は感謝しているそうです。^^  
この話は、先日の「空から日本を見てみよう」で聞きました。

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