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一条戻橋

2019年08月01日 | 歴史街道



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7 コメント

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Unknown (六五六)
2019-08-01 20:00:14
橋を、そんなふうに考えたことなどありません。

「はじめ 橋は渡って行くより 戻ってくるために架けた」

なるほど、そういうことなのかもしれません。
 
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こんばんは (延岡の山歩人K)
2019-08-01 21:54:31

 「一条戻橋」
この記事は 以前にも拝見した記憶があります
 >橋は渡って行くより戻ってくるために架けられた
一方通行目的とは
インパクトありますね
そして ロマンを感じます
自分は、近くを通った事 有りますが
実際には お目にかかったことありません。

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(六五六) さん へ (iina)
2019-08-02 08:29:58
「橋は渡って行く」ものと思ってましたが、

                    「戻ってくるために架けた」のであるそうです。



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(延岡の山歩人K) さん へ (iina)
2019-08-02 08:43:24
花に紅色の鹿ノ子絞りみたいな模様が入るところから「鹿の子百合」と名づけられたそうですが、毒々しさのあるお花ですね。

彼の花は、何というのでしょうか ❔ ・・・ ("^ω^)


オリジナル「もののはじめ」を壁絵つきで再しています。
一日は①を、二日に②を、明日三日が③とつづけ 十日の⑩まで連日投稿をつづけます。

橋は、戻ってくるために架けましたが、行くときも通りますから、一方通行ではなく往復渡ることが可能です。

   Kさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURL(iina)に置きました。


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サイトのご紹介ありがとうございました (sakura)
2019-08-02 11:12:09
一条戻橋にまつわる数々の伝説、
たいへん興味深く拝見させていただきました。
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(sakura) さん へ (iina)
2019-08-04 09:46:32
一条戻橋にまつわる伝説は、たった一つではなくて幾つも存在していました。



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昆布が美味い さん へ (iina)
2019-08-04 09:51:57
千利休は、この界隈に屋敷を賜って住んでいました。
     晴明神社を壊さずに敷地内に残していたものと考えられます。
     
大徳寺三門に上げた利休の木像と生首を戻橋にさらされてしまいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/千利休



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