イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その56☆「赤毛のアン」名言集☆

2011-03-02 10:13:23 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                         

 まえに「赤毛のアン」にハマってるって話、徒然その52あたりでもしたように思うんですが、実をいいますと、これ、てんで過去形じゃなくて、いまもってイーダちゃんは「アン」世界の引力圏内住人なんですよ。当分、離脱できそうにありません。
 いやー、ツボにくるといいますか、アンの口にする一言一句が、絶妙に僕には効くんです。というか、効きすぎる。
 どの言葉もこの言葉も、なんというか、とってもキューティーで、痛痒くって、もう胸がきゅっとたまらんの!
 心臓の右心房かどっかのでっぱりあたりに、アンの赤い糸---というか髪の毛?---が結ばれちゃってる感じ。
 自分ではいかんともしがたいんですよ。あまり認めたくないけど、ひょっとしてこういうのって、完璧なオタクッキー状態っていうのかもしれませんね? ええ、それっくらい「赤毛のアン」が好きなんですよ---はあ、こまった…。(^.^;>

 で、話は突然変わるんですが、世間でけっこう人気の、あいだみつお語録ってあるじゃないですか。
 
----しあわせはいつも自分の心がきめる みつお

 みたいな、ああいう、ほのかな禅っぽさが香る箴言集とでもいうんですか---。
 あれ、うちのトイレ内のドアにもかかっておりまして、見るたびにいつも「ふうん」と感心したりしてたんですが、こないだトイレで用足し中になんとなくそれを見ていたら、これとおなじことを「赤毛のアン」でやれないもんだろうか、とふいに閃いたんですよ。
 名案、とは思いませんでした---だって、アンのお喋りって長すぎるから。
 箴言って基本的に箱庭みたいに、かっちりしたまとまり加減が重要じゃないですか。表面の言葉以外の意味深なほめのかし部分がむしろ内容より重要だったりね。ときには、内容物自体より、内容物の糠(ぬか)部分にこそ本当の真理がある、みたいな抹香世界なわけじゃないですか。
 ところがアンときたら、そんなじんわり発酵空間とは対極ですからねえ。
 少女時代のアンの世界は、さながら生命感にあふれた無邪気な春風---動作も行動も発言もすべてが流れだすまま「詩」になっちゃうみたいな---なんですから、この自由な喜びのアクションを、狭っちい箴言の箱庭にむりに押しこめちゃうっていうのは、自分ながらどうもなあってやや気乗り薄の感じでいたんです。
 でも、まるきり無価値とも思いませんでした。アンの言葉が詩のようにきらめいてるっていうのは事実なんだし。
 だもんで結果は度外視して、いちおうはトライしてみることにしたんですよ---僕がこんなページをつくったりした動機は、それなんです、はい。

 ということで1発目のご紹介、いきませう。
 これはですね、親友のダイアナとある事情から交際を禁じられて絶望状態にいたアンが、育ての親のマリラから、その長い交際禁止令が解かれたと伝えられたときの発言です。

----ああ、マリラ、お皿洗いしないで、すぐいっていい(ダイアナの家へ)? 帰ってから洗うわ。こんなに昂奮してしまったときに、お皿洗いみたいに現実的なこと、とてもやってられないんだもの!

 これ、アンの典型的な歓喜ヴァージョンなんです。
 喜びの光にきらめいてるときのアン・シャーリーって、ひどく魅力的です。
 このセリフのキモは、その年ごろの女の子としてはやや不釣り合いな「現実的な」という抽象的な単語と、皿洗いって日常的行事との微妙なコラボでせう。
 アンのちょっと背伸びした感じのおしゃまな言葉使いが、内心の喜びの弾けそうなさまを表しているようで、実によろしいじゃないですか。
 評価としては文句なくAですね---絶妙に可愛いといいきってしまってもいい、と僕なんかは思うんだけど。

 ふたつめは、うーん、グリーンゲイブルズにもらわれてきた孤児のアンが、実はグリーンゲイブルスで欲しがっていたのは、女の子じゃなくて野良仕事のできる男の子だったということを知らされて---誰も自分を欲しがってくれない、男の子じゃないから自分は孤児院に送りかえされるんだ---と泣きに泣いた一晩あとの翌朝、マリラにむかっていうセリフなんですが。

----…今朝は絶望のどん底じゃないの。朝はいつもべつよ。朝があるってとってもいいことね? 悲しいことは悲しいけど…。あたしはいまね、結局はおばさんたちがあたしのことを欲しがってくれて、いつまでもここにいられるって空想していたの。空想してるあいだはとても幸せだったわ…。でも、空想がいけないのは、いつかはきっとやめなきゃいけないってことなの。そのときがみじめなのよ---。

 いかがです? とってもけなげだと思いません?
 特に注目してほしいのは、アンダーラインの部分ですね。男の子とまちがえられてこの家にやってきた自分が、これからあの嫌な孤児院に送りかえされてしまうかもしれない瀬戸際だというのに、このアンのセリフには、ふしぎなほど人間的感情の濁りがありません。
 当然あっていいはずの、停滞と退廃の影がない。むしろ、通常より澄んでいるといってもいい---前夜、くたびれるほど嘆き、泣きつくした成果なんでせうか。
 ま。それは分かりませんけど、そのようなネガティヴまじりの心理状態のときに、朝の美しさをちゃんと発見できて、子供なりのやりかたでそれを素直に誉めたたえるすべを知っているといった点に、このアンという女の子の、生来の心の生地の美しさというものを、僕は感じないではいられません。
 そのあとにつづく<空想>というものに対する、アンのちょっとした考察にしたって、経験律にもとづいた、正確で冷静な観察力が見出せるじゃないですか。こんな短いセリフひとつからも、このアンという子が、感受性に富んだ、繊細な、しかし、聡明で明るい少女だということは導けるんです。
 うーむ、となると、これもやはりAランク分類が適当でせうね…。

 で、最期のみっつめはこれね---。
 マリラの留守の留守番中に、アンが行商人から小遣いをはたいて毛染め薬を買うんですよ。
 本来なら行商人の類いは家にあげちゃいけない、と固くいいわたされていたにも関わらず、家のまえでいろいろと話しているうちに、どうしてもその毛染め薬が欲しくてたまらなくなっちゃうんですよね---ああ、あたしのこの赤毛がまっ黒の髪になったらどんなにいいだろうって、アンの心が踊るわけです。
 でも、その薬はイカサマの粗悪品で、アンの髪は黒じゃない緑色に染まっちゃうんですよ。
 で、例によって絶望して泣きじゃくって、何度も何度も洗ったんだけど、どうしても緑色が落ちないんで、いよいよマリラがアンにその髪はもう切らなくちゃいけないね、と重々しく宣告するんですが、そのときのアンのめいっぱいのリアクションがこれ。

----さっさと切って、ひと思いにすませてちょうだい、マリラ---ああ、胸がやぶれるわ…。これは、ぜんぜんロマンチックじゃない苦悶だわ---。物語の女の子は熱病で髪を切るとか、よい目的で使うお金のために売るとかいうでしょう? あたしだってそんなことなら、きっと半分も心が痛まないと思うんだけど、途方もない色に髪が染まったから髪を切るなんて、なんの慰めにもならないわね…? 泣いてても切れるなら、切るあいだずっと泣いててもいい? だって、あんまり悲劇的ですもの…あーん……。 

                         

 これは…絶品だと僕あ思うなあ(笑)---こんなこといったらアンに怒られちゃうかもしれないけど。
 このなかには、アン節のすべてのヴァリエーションが含まれてるっていってもいいですよ。
 キュートで情熱的、背のびしたファニーなおしゃま感と、詩才とユーモア、それに、シナモンみたいにぱらぱらふりまかれた年頃の少女流の悲劇趣味---ひとことでいって、超・可愛いったら!
 誰がなんといっても、これはスペシャルAランクですねっ。

 うーん、あいだみつおみたいな言葉カレンダーに仕立てられるかと思ったけど、やっぱりこれはむりっぽー…。
 残念無念。僕ならこのアン言葉日めくり、すぐにでも愛用できる自信はあるけど、一般性はどう見てもないですもん。
 だって、全部Aですよ---ひいきのヒーちゃんひきたおしって感じです。
 非常に親バカ的、恣意的、客観性を欠いた、趣味オンリーのお目汚しページとなっちゃいましたが、どうか、ご容赦を---。m(_ _)m

 (カンカン、と柏木、乾いた音で高く鳴り、幕)



§追加考証情報:アンの生まれた年を調べたら、1865年生まれというのが分かりました。
        なんと、慶応元年の江戸時代生まれじゃないですか!
        うわあ。そういえば、物語中にヴィクトリア女王とかよく出てきたもんなあ。
        いろんな意味でびっくりでした。

 


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